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東京高等裁判所 昭和61年(う)1653号 判決

本籍

神奈川県鎌倉市極楽寺一丁目一一番

住居

同県同市極楽寺一丁目一一番一〇号

会社役員

加藤寛

昭和一九年一月一日生

本店所在地

神奈川県鎌倉市極楽寺一丁目一一番一〇号

株式会社加藤

代表者代表取締役 加藤寛二

右被告人加藤寛に対する所得税法違反及び法人税法違反被告事件並びに被告人株式会社加藤に対する法人税法違反被告事件について、昭和六一年九月二九日横浜地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官杉原弘泰出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人上林博、同野口啓朗連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官杉原弘泰名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、被告人加藤(以下被告人という。)は、(一)本件キャバレー・バー等の店舗経営に関する脱税の実行行為に全く関与していないから、個人事業による所得について被告人は無罪であり、また被告人の実行行為を前提とする法人事業による所得について被告人株式会社加藤(以下被告人会社という。)の刑事責任もまた問い得ないものであり、(二)仮に被告人が右脱税の実行行為に関与していたとしても、本件キャバレー・バー等の店舗経営の個人事業は、被告人の父加藤寛二(以下寛二という。)の単独経営にかかるものか、少なくとも寛二と被告人の共同経営にかかるものとみるべきで、それによる所得は被告人単独に帰属するものではないのに、原判決が被告人が本件脱税の実行行為を行い本件事業は被告人の単独経営であり、それによる所得は被告人単独に帰属するものとして有罪の言い渡しをしたのは証拠の取捨選択及び証拠の評価・判断を誤って事実を誤認したものであり、右奉実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討するに、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、被告人が本件各年度の所得税及び法人税の各確定申告手続の際、寛二が作成した各確定申告書を見せられて、そこに記載された所得金額及び税額が、虚偽過少のものであることを認識しながら、同人をしてこれを所轄税務署に提出させたこと、並びに本件各年度における本件事業の経営者は被告人であり、個人経営店舗の事業所得が被告人に帰属するものであることを優に認めることができ、原審弁護人らの主張に対する原判決の判断中、「一本件各年度における個人経営店舗の事業所得の帰属について」「二脱税の犯意及び実行行為について」の項で説示するところもこれを肯認することができ、そこに所論のいう事実誤認は認められない。所論にかんがみ、以下、若干ふえんして説明することとする。

一  被告人及び寛二は、原審公判廷において、同人らの大蔵事務官や検察官に対する供述調書中、弁護人の右主張一、二に関する供述はいずれも虚偽の供述であり、虚偽の供述をした理由として、被告人は国税査察官や検察官に、被告人一人で罪をかぶるよう言われたためであるとし、さらに寛二は、これに加えて取調官の心証を害さず、刑事事件にならないで修正申告で済むよう取調官に迎合して供述したためであると供述している。

しかしながら、関係証拠によれば、被告人及び寛二は、一年近くもの間にかけて多数回にわたり、国税査察官の質問や検察官の取調べを受けて、本件の事実関係について詳細な供述をし、それらが多数の大蔵事務官作成の質問てん末書(以下質問てん末書という。)及び検察官作成の供述調書(以下検面調書という。)として録取されているところ、その間被告人及び寛二は在宅のままであったこと、国税庁の査察直後から、従前申告手続に関与した小西貞夫税理士のほか他の税理士等にも相談して、これら税理士をして国税庁との折衝にあたらせ、また本件が国税庁から検察庁に告発される以前の段階から弁護人が選任され、同弁護人は被告人らを同行して担当検察官と面談し被告人らのための弁護活動もしていたことが認められることよりして、被告人及び寛二は任意に供述できる状況にあったうえ、関係機関に対し自己の主張・弁解を十分なし得る態勢を整えており、かかる専門家により擁護されている者に対し、関係機関が所論のいうような一定の予断のもとに誤った方針を立て、これに添うように供述することを押し付け、あるいは誘導するといった行動に出ることは甚だ困難であり、現に被告人及び寛二が関係機関から右のような取調べや不当な扱いを受けたことを当時弁護人らに訴えていた形跡は窺えないのである。そして、原審第四〇回公判廷において、寛二は「検察官の取調べを受ける前の段階で、それまでの国税当局との折衝の経過に照らしもはや修正申告で済ますことは不可能で、刑事裁判になることは判っていた」旨明確に供述し、現に検察庁に告発され、すでに刑事事件となった後にも被告人及び寛二は大蔵事務官に対し述べたところと大筋において同様の供述を検察官に対し供述し続けているだけでなく、事柄によってはより詳細・具体的に供述しているのであって、これらを総合すれば、被告人及び寛二の質問てん末書及び検面調書における各供述に信用性を認め得るとするとともに、原審公判廷における被告人及び寛二の各供述は措信できないとした原判決の判断は正当であると認められる。

二  所論は、原判決が弁護人らの主張に対する判断二の2、3において、原審弁護人らの被告人及び寛二の検察官及び大蔵事務官に対する供述の信用性がないとする主張を採り得ないとして説示した点につき逐一反論するので、以下その主なものについて検討する。

(一)  所論は、確定申告書作成前に、被告人と寛二が申告額について相談したか否かについて、両者の大蔵事務官に対する供述は矛盾し、また被告人の供述は具体性に欠け、相談した日時・場所が思い出せないのは不自然であり、被告人の昭和五四年一一月二四日付質問てん末書の右供述部分は信用できず、この点に関する原判決の説示は不当である、というのである。

しかしながら、被告人の右供述と寛二の同日付質問てん末書の供述内容を対比して検討すれば、被告人の供述は申告額等を決定するための正式の相談をしたという趣旨ではなく、親子の日常の話し合いの中で、各店舗の利益から借入金等の支払いをすると、どのくらいの金額になるかを話した程度であり、具体的金額の決定は寛二にまかせたというのであり、寛二の供述は確定申告書作成前に所得金額・納税金額について相談したことはない旨供述しているが、右趣旨はいわば正式の相談をしたことはないというもので、被告人のいう日常的・雑談的な話し合いのことについてまで言及している訳ではなく、右のような雑談程度の話し合いの日時・場所について記憶がないからといって格別不自然とはいえず、その他原判決の右説示部分に不当な点はない。

(二)  被告人は、確定申告書を寛二から見せられた日時について、大蔵事務官に対する前同日付質問てん末書においては、思い出せないと供述しながら昭和五五年三月五日付検面調書(一二枚綴、以下同じ。)においては、各特定した日を具体的に供述しているところ、弁護人は右検察官調書の信用性を争い、被告人は検察官による取調べの際、検察官に対し確定申告書が所轄税務署に提出された時期を尋ねたところ、検察官は提出した月を教えてくれただけで日付まで教えてくれなかったため、被告人は所得税、法人税ともその申告期限は月末であると認識してこれを基準として、その半月とか二〇日前には申告書が作成されていたであろうとの推測のもとに、各確定申告書を「見た」時期を適当に供述したのである、と主張する。

しかしながら、右検面調書によれば、被告人は押収された各確定申告書自体を見せられたうえで、被告人が寛二から確定申告書を見せられた日を尋ねられているのであって、右確定申告書第一面には税務署の収受印が押捺されていて容易に受付日を判読することができるから、あえて検察官に聞きただすまでもなく確定申告書提出日を知り得るうえ、所得税確定申告書の提出期限が三月一五日とされていることは広く一般に周知徹底されているところであり、被告人程度の年令・学歴・社会経験を有する者がこれを知らなかったとは到底認め難く、右主張も採り得ない。そして、被告人の右弁解や弁護人の主張自体からして、前記検面調書中被告人が確定申告書を見た日時につき供述する部分が、検察官による日時の一方的押し付けで出来上った作文であるとする非難が理由のないことが明らかである。

(三)  所論は、各確定申告書の申告書の氏名欄ないしは自署欄に被告人自身は一度も自署しておらず、すべて寛二において代筆していることは、被告人が各確定申告書を見ていないことの証左であり、かつ被告人会社の法人税確定申告書の代表者自署欄につき、寛二は昭和五四年一一月二四日付質問てん末書及び昭和五五年三月二日付検面調書において、被告人が自署したと供述しているところ、右は虚偽であり寛二において被告人の字体に似せて代署したものであるから、右各供述調書の信用性につき重大な影響を及ぼすものであるのに、原判決はこの点につき正当な判断をしていない、と主張する。

しかしながら、寛二は同人の昭和五四年一一月二四日付質問てん末書及び昭和五五年三月二日付検面調書において、被告人の確定申告書は各年度とも申告者氏名欄を含め全部小西税理士が書いたもので、寛二はこれを持ち帰って被告人に見せ、所得金額・税額等に目を通して貰い、そのうえで寛二が預っていた被告人の印鑑を押捺して所轄税務署に提出したと供述し、小西税理士は、原審公判廷において、昭和五一年分の被告人の確定申告書は自分の書いたものではないようだが、五二、五三年分の被告人の確定申告書は、申告者氏名欄を含め全部自分が書いたものであると供述し、寛二も原審公判廷では、小西税理士の右供述に添う供述をしているのであって、これらによれば、少なくとも昭和五二、五三年度の被告人の確定申告書については、これらを被告人に見せた段階では、すでに申告者氏名欄には被告人名が小西税理士により代署されていたものと認められるのであって、その時点では申告者氏名欄が空欄であって署名を求め得たことを前提とする弁護人の主張は、その前提を欠くものといわねばならない。

そして、被告人は、もともと経理面を一切寛二に一任し、外部に提出する書類の作成・提出をまかせ、そのための実印をも預けていた関係があり、寛二においても自署しなければ受領してもらえない書類はともかく、代署でも通用する書類については、寛二において作成・代署・押印していたこと、被告人の自署が必須の場合には被告人にこれを求めれば足り、被告人と寛二は親子で、同一敷地内に隣接して自宅があり、日常事務連絡で顔を合わせる機会も少なくなく、寛二が被告人に対し自署を求めることが困難な状況は全く窺えないこと、前記のとおり、昭和五二、五三年度の被告人の確定申告書については、申告者氏名欄を小西税理士が代署したものがそのまま税務署で受付けられた経験からして、寛二としては所得税の確定申告書の氏名欄に自署することが必須なものとは考えず、ただ、被告人会社の法人税確定申告書については代表者自署欄と経理責任者自署欄が併存することからして、同一字体で書くことは不都合なので、代表者自署欄には字体をかえ被告人の字体に似せて代署したものと推認される。かような経過で被告人の自署であるかのように装って被告人の字体に似せて代署した手前もあって、寛二は前記質問てん末書や検面調書では右代表者自署欄は被告人の自署である旨供述したものの、その後被告人が昭和五五年三月五日付検面調書において、「被告人会社の代表者名は私の筆跡によく似ているが、私が書いたものではないような気がしますので、父が私の字に似せて書いたものではないかと思う」旨供述するに至ったことから、寛二も右代署を明らかにせざるを得なくなり、原審公判廷で代署したことを認めるようになったもので、前記質問てん末書・検面調書中の右代署に関する部分は真実ではないが、そのことは右各書面における寛二の供述全体の信用性を失わしめるものとまでは認められない。

(四)  所論は、被告人及び寛二が、検察官に対し、脱税した金額について将来修正申告するとともに、それ以後は正しい申告をしようと考え、帳簿書類を保存していた旨供述していることについて、脱税により蓄財をなしたものが税金を納めようと考えるのは不自然極まりなく、右は被告人の脱税の犯意を明確にさせるために、検察官が誘導して供述させたものである、というのである。

なるほど、右供述が被告人や寛二の真意であったかについては直ちに信用できないが、被告人や寛二が述べている供述内容を前後の文脈の中でみれば、右は犯意を明確にする趣旨のものというよりは、被告人らが脱税をずっと続けたまま営業しようとしていたわけではなく、時機をみて正しい申告をして正常な状態にもって行きたいと考え、その場合に備えて帳簿書類を整えていたとして良心的なところもあったことを強調して、これを酌んでもらいたいとする趣旨で述べているものであって、検察官が誘導して供述させたとみられるような性質の事柄ではない。そうすると、検察官が被告人や寛二の弁解を十分聞き、それを調書化したものであることが窺えるとする原判決の説示に誤りがあるとはいえない。

(五)  所論は、被告人は「大船ヴイーナス」「大宮歌磨」の両店舗の営業人名義につき、なんら法律上の障害は存在しなかったのに、当時被告人名義で営業することが法律上できなかったため寛二名義で営業したと虚偽の供述をしているところ、虚偽の供述をした理由を究明すれば、被告人の捜査段階における供述が信用性のないものであることが判然とするのに、原判決は右供述部分が真実に反するものであることを認めながら、虚偽の供述をした理由の究明を回避して被告人の捜査段階における供述の信用性を認めたのは失当である、と主張する。

なるほど、被告人は所論が指摘するような供述をしているが、他方、寛二は、右両店舗を寛二名義にして営業し、確定申告した理由につき、被告人の所得として申告すると累進課税により税額が大きくなるので、これを避けるためであったことと、妻の老後の生活保障のためであると供述しており、これらが真の理由であると推認されるところ、前者は脱税の犯意をより強く悪性のものとする事情であり、後者は被告人の妻と母のいわゆる嫁姑の関係がからむ事柄であり、被告人としてはいずれも表面に出したくなかったものであり、被告人が風俗営業取締法違反の前科の関係で被告人名義で営業することができないときは、寛二や従業員名義を用いて来たことから、右両店舗についても同様の理由を述べたものと推認されるのであって、被告人が所論にいう虚偽の供述をしたからといって、そのことから直ちに質問てん末書及び検面調書全体の信用性を失わしめるものとはならない。

(六)  所論は、被告人及び寛二は、検察官に対し、被告人会社の取締役会を昭和五三年三月二〇日鎌倉の自宅で開催した旨の供述をしているが、右取締役会開催の事実はないのに、原判決はこれがあったとして被告人らの供述の信用性に対する主張を排斥したのは失当である、というのである。

なるほど、被告人及び寛二の被告人会社の取締役会が右日時に開催されたとする部分に関する供述は、これに添う取締役会議事録の存在にもかかわらず、その真実性については疑問の余地があるのであるが、それはともかく、右供述は被告人及び寛二は、国税庁の査察を受ける一年以上も前の昭和五三年三月二〇日に、被告人名義の全店舗を被告人会社の店舗に組み込んで全店舗の所得を法人所得として正しく申告しようと組み入れのための取締役会決議までしたが、その後その実行が遅れているうちに、査察を受けてしまったというものであり、被告人及び寛二に善良な納税者としての面もあることを強調し酌量を求める趣旨で供述したものとみられるのであって、被告人及び寛二の右供述部分の真偽如何は質問てん末書及び検面調書全体の信用性を減少せしめるものとはならない。

その他原判決が弁護人の主張に対する二の2、3において説示する点に不合理・不自然というほどのものは認められず、かつまた弁護人が指摘する虚偽の供述というものも、身内への配慮や犯情をよく見せるためになしたものとみられ、右程度のことをもってしては、いまだ被告人及び寛二の質問てん末書及び検面調書の信用性を喪失・減少せしめるものとはならないとした原判決の判断は正当であり、誤りはない。

三  本件脱税の実行行為について、所論は被告人は全く関与していないと主張するけれども、被告人及び寛二の質問てん末書検面調書が信用性のあるものであることは前記のとおりであり、これらのほか関係証拠を総合すれば、対象年度の各確定申告書は寛二が小西税理士をして作成させ、あるいは同人の指導により作成したものであるけれども、被告人は寛二から同人作成の各確定申告書を見せられ、その内容を了知し、それが虚偽過少のものであることを知悉しながら、これを寛二をして所轄税務署に提出させたことが認められ、被告人は本件虚偽過少申告による実質的効果を自己ないしは自己が代表者をしていた被告人会社のものとしているのであるから、被告人は寛二を介してほ脱行為をしたものとして刑責を負うべきであり、原判決のこの点に関する認定に事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

四  本件キャバレー等の店舗経営の個人事業による所得の帰属について、所論は寛二の果たしてきた諸役割・立場からして寛二の単独経営であり、そうでないとしても被告人と寛二の共同経営とみるべきであるとして、原判決の説示につき反論するけれども、関係証拠によれば原判決の説示は正当としてこれを是認することができる。すなわち、昭和四九年一一月ころ本件事業が開始され、次々と店舗を新設して事業を拡大していったが、その開業にあたって寛二が退職金等を開業資金として提供したこと、その後の事業拡張に必要な資金は銀行からの借入金と事業利益で賄われているが、銀行借入、その返済等資金繰りは寛二が行なっていたこと、寛二は永年会社役員として会社経営に豊富な経験を有し、本件事業において経理面を担当し、売上金等の収入を管理し、支出の要否を判断するなどして経理上の処理をするとともに、店舗の新設について資金調達・返済可能性等資金面からの意見を述べ、また事務所の事務員の採否については決定権を有していたことが認められる。しかしながら、寛二の上京の目的は、一人息子で三十才近くにもなる被告人が母方の叔父である大沢昱・大沢進と共同してキャバレー等を経営していたものの、内実は同人等に使用人のように扱われていることを不憫に思い、被告人がキャバレー等の営業者として独立するのを支援するためであって、寛二自らがキャバレー等の営業をはじめるためではなかったこと、本件事業を開始する当時において、被告人にはキャバレー・バー等いわゆる水商売の経験が足かけ一〇年あったのに対し、寛二は石油関係の会社で長年総務関係の仕事に従事するなど水商売の経験は全くなかったこと、被告人は右大沢昱らのもとから独立するにあたり、退職金代わりに台東区内の「ニュークインビー」、墨田区内の「ニュー浦島」の二店の経営権を譲り受け、寛二の提供にかかる資金ではじめたキャバレー「グランドタイガー」とともに三店を元手にして、その後昭和五三年までに、採算不良の「グランドタイガー」は他に譲り渡す一方、挙げ得た利益を再投資し銀行からの借入をも得て次々と新規開店し十数店舗を有するに至ったこと、本件キャバレー・バー等の営業は、客の出入・人気・客層によって収支が大きく影響する不安定な商売であり、これら営業についての知識・経験・才覚のある者が営業にあたらなければ、容易に継続した利益を挙げ得ない業種であること、被告人は営業面を全面的に掌握し、経営戦略を立ててこれを実行に移し、新規出店の是非、出店場所・店舗の選定、店舗改装の要否、ホステス等の従業員の採用、営業名義人・店長等幹部職員の選定等を決定していたもので、本件事業は、被告人の存在・活躍を基本として開始され、経営が成り立っているのであって、被告人の存在・活動をぬきにして経営されているものではないこと、銀行からの借入は被告人名義で行なわれており、借入の手続は寛二によってなされているものの銀行は営業主を被告人としてその信用力を評価して貸付けをしていること、不動産の購入・モーターボートの購入その他主要な対外的法律行為は被告人の名において行なわれていること、被告人と寛二の間には共同経営の基礎的要素である損益分配の約定は定められておらず、寛二が開業資金として提供した金額についてもなんら約定はなく、また被告人・寛二とも給料として確定額が支払われているわけではないこと、被告人と寛二は別個の建物に居住していたが、鎌倉にある各自の自宅は、被告人名で購入した敷地内に隣接してあり(建物の名義は各別)、水道・電気代等共通の経費として支払われるもののほか、被告人及び寛二の家庭が各自必要とする額を右事業による所得から支出してもらって各自の生活費に充当し、残余は利益として確保し、新規出店等事業拡張・借入金返済等の費用にあてていたことがそれぞれ認められる。これらを総合するとき、寛二が本件事業の開始当初に拠出した資金は、跡取り息子である被告人に対する金銭的援助であって、法律的には贈与ないしは消費貸借に相当するものであり、本件事業は被告人の釆配によって営まれており、その間において父親の寛二においても被告人の事業の発展のため経理面を担当するなどして応分の寄与貢献をしてきたことが認められるが、事業につき寄与した者がすべて共同経営者に当たるわけではなく、寛二の本件事業への関与の内容・程度からして、本件事業が寛二の単独経営であるとか、被告人と寛二との共同経営にかかるものとは認められない。そうすると本件事業が被告人の経営にかかるものであり、それによる所得が被告人に帰属するとした原判決の認定に事実誤認はない。論旨は理由がない。

(なお、所論のうちには、理由不備をいうかの如き主張があるけれども、その内容は本件事業の事業主及びそれによる所得の帰属につき事実誤認を主張するものにすぎず、刑訴法三七八条四号の控訴理由には当たらない。)

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 朝岡智幸 裁判官 小田健司)

昭和六一年(う)第一六五三号

○控訴趣意書

所得税法違反・法人税法違反 加藤寛

法人税法違反 株式会社加藤

右被告人両名に対する頭書被告事件につき、昭和六一年九月二九日横浜地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から申し立てた控訴の理由は左記のとおりである。

昭和六二年二月七日

右両名弁護人 弁護士 上林博

弁護士 野口啓朗

東京高等裁判所第一刑事部 御中

原判決は、本件被告事件につき、罪となるべき事実として「被告人加藤寛は、(中略)昭和四九年一一月ころから東京都内及びその周辺において、キャバレー、バー等の店舗を逐次開設し、実父である加藤寛二の補佐を得ながらこれらの店舗を個人で経営していたものであり、被告人株式会社加藤は、昭和五二年七月五日、株式会社藤として設立されたが、その後同年一一月二八日株式会社加藤と商号変更し(中略)神奈川県鎌倉市極楽寺一丁目一一番一〇号(中略)に本店を置き、バー、キャバレー等の経営を行つている資本金八〇〇万円の株式会社であり、被告人加藤寛は、前記個人営業のかたわら、被告会社設立当時から被告会社の代表取締役(中略)として、前同様に加藤寛二の補佐を得ながら被告会社の業務全般を統括しているものであるが」としたうえで、昭和五一年度ないし同五三年度分の所得税について、「被告人加藤寛は、自己の個人所得について所得税を免れようと企て、収入の一部を除外して簿外預金を蓄積するなどの方法により、所得を秘匿したうえ」昭和五一年分から同五三年分の実際の総所得金額が合計二億六五九四万二二七四円であつたにもかかわらず、いずれも加藤寛二を介して所轄税務署に対して虚偽の事実を記載した所得税確定申告書を提出し、合計一億四七三四万六四〇〇円を免れ、また、被告会社の昭和五二年七月五日から同五三年三月三一日までの事業年度における法人税について、「被告人加藤寛は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上の一部を除外し、被告人加藤寛名義の個人預金に混入させるなどの方法により、所得を秘匿したうえ」右事業年度における被告会社の実際の所得金額が三七三七万六六六一円であつたにもかかわらず、加藤寛二をして所轄税務署長に対し虚偽の事実を記載した法人税確定申告書を提出し、一三〇九万四九〇〇円を免れた旨ほぼ検察官の公訴事実どおり認定したうえ、被告人加藤寛に対し

懲役一年六月及び罰金三〇〇〇万円に処する

ただし、この裁判の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予する

旨の、被告人株式会社加藤に対し

罰金三〇〇万円に処する

旨の有罪判決を言い渡した。

しかしながら、本件公訴事実は、以下に述べる理由により、原審で取調べられた各証拠によれば、当然無罪と認定されるべきであるのに、原判決は証拠の取捨選択とその評価を誤り、その結果事実を誤認し被告人両名を有罪としたものであつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、到底破棄を免れないものと思料する。

第一 本件脱税の実行行為に被告人加藤寛が全く関与していないことについて

一 結論

被告人加藤寛(以下被告人という)が本件脱税の実行行為に関与したことは、原審で取調べられた関係全証拠によつては到底認め得ず、被告人は当然無罪であり、したがつてまた、同人の実行行為を前提とする被告株式会社加藤(以下被告会社という)の刑事責任も問い得ないことは明らかであると思料するが、原判決は、被告人が右実行行為に関与したことを認定し、その理由を詳論しているので、以下これに対する検討を中心に、弁護人の見解を明らかにする。

二 実行行為の内容

右検討を行うにあたつて、本件脱税の各実行行為(すなわち「偽りその他不正の行為」)の具体的内容を確認しておく必要がある。

弁護人の理解によれば、原判決が、右実行行為に該当すると認定した行為は、本件各所得税及び法人税の各確定申告手続の際、虚偽過少の所得金額及び税額を記載した確定申告書を所轄税務署に提出したことであり、またこれに尽きる。その上で原判決は、右行為を直接担当したのは被告人の実父加藤寛二(以下寛二という)であるが、「被告人は寛二が作成した右確定申告書の所得金額及び税額が虚偽過少のものであることを知りながら同人(右寛二)をしてこれを所轄税務署に提出させた」と認定した。

この点に関し、検察官は、起訴状記載の公訴事実において、被告人の所得税法違反については、「被告人は収入の一部を除外して簿外預金を蓄積するなどの方法により所得を秘匿したうえ」所轄税務署に対し、所得金額を過少に記載した「所得税確定申告書を提出し」た旨主張し、また、被告人及び被告会社の法人税法違反については、「被告人加藤寛名義の個人預金に混入させるなどの方法により、所得を秘匿したうえ」所轄税務署に対し、所得金額を過少に記載した「法人税確定申告書を提出し」た旨主張しており、原判決にも「罪となるべき事実」において、同旨の記載がある。

いうまでもなく、申告納税方式による脱税の実行行為としては、帳簿の虚偽記入等事前の所得秘匿行為と虚偽過少申告の双方があり得るところであつて、検察官は、この点に関する弁護人の求釈明に対し、本件各違反は事前の所得秘匿行為を伴うものである旨釈明し、前掲各行為がこれに該当するかのように受け取れるのであるが、一方、検察官は冒頭陳述においては、脱税の手段方法として全く右の点を主張しておらず(当然のことながらその立証も全くなされていない)、また、弁護人の求釈明に対して、「本件はいわゆるつまみ申告である」旨釈明していることに鑑みると、前掲各行為が事前の秘匿行為として主張されているものではないと解せられる。

また、原判決がこの点をどう判断したのかは、しかく明確ではないが、判決理由中の「(弁護人の主張に対する判断)二 脱税の犯意及び実行行為について」に摘示されたところからみると、「罪となるべき事実」の前記摘示はこれを事前の秘匿行為と把えた趣旨ではないと解せざるを得ない。

したがつて、本件における実行行為は、虚偽過少申告に関するものだけであるが、その内容として、原審で検察官は、所得税法違反に関し、被告人が寛二に指示して売上の一部を除外するメモ書を作成させ、法人税法違反に関しても被告人が寛二に指示して売上の一部を除外し、給料等の経費の一部を除外した試算表を被告会社経理係の福士幸男をして作成させたものであり、またこれらに基づいて寛二が関与税理士の小西貞夫に作成させた確定申告書について、被告人が寛二をして署名押印を代筆・押印させた旨主張している。

寛二が右メモ書を作成し、また福士幸男に右試算表等を作成させたうえ、小西税理士に確定申告書を作成させ、被告人の署名・押印を寛二が行つたことは弁護人も認めているところであるが、これらが被告人の指示によるものとする検察官の主張について、原判決は明示の判断は示していないものの、前述した判決理由中の摘示からは、右主張を排斥したものと解される。検察官提出の全証拠をみても右主張を裏付ける事実がないことからすれば当然の結果であろう。

三 実行行為に関する証拠関係

結局、原判決が本件脱税の実行行為と認定した内容は、寛二が作成した各確定申告書の記載が虚偽過少なものであることを認識しながら、これを寛二をして所轄税務署に提出させたということに尽きる。

本件の特異な点は、まさに経営者であるとされる被告人が、事前の所得秘匿行為(本件では存しないが)全く関与していないばかりか、虚偽過少申告行為についても、申告書の作成、提出はもちろん、その署名押印にいたるまで自ら行つたことは何ひとつなく、第三者にこれらを指示しただけであるとして訴追された事案であることである。

このこと自体、個人事業では極めて不自然であり、被告人自身が全く関与していない可能性が大きいことを示すものであろうが、それはともかくとして、本件実行行為に被告人が関与したことに関する証拠として原審で取調べられたものは、被告人及び寛二の検察官に対する供述調書(以下PSという)及び検察官に対する質問てん末諸(以下GSという)のみであり、物的証拠はもちろんのこと、第三者(寛二は実質被疑者である)の供述は一切ないのである。本件捜査段階で多数の証拠物が押収され、関係者多数が事情聴取を受けており、本件実行行為に関連しても、所得税・法人税確定申告書をはじめとして、寛二作成の前掲メモ書、福士幸男作成の試算表等多数の証拠物が存し、また小西税理士、福士幸男等関係者の供述が存するのであるが、当然のことというべきながら、何れも寛二の所為に関連するものばかりであつて、被告人がこれに関与したことを示すものは何ひとつ存しないのである。

捜査を予想して事前に十分な証拠隠滅が図られていたという事案ならともかく、店舗の売上等を正確に記帳した金銭出納簿が通常の保管場所からそのまま押収されていることで明らかなように事前の証拠隠滅工作は全くなされていないこと疑う余地のない本件ごとき事案において、証拠物が一片のメモ書すら存しないということは誠に奇異なことといわなければならない。このこと自体は、被告人が本件実行行為に関与していなかつたことを積極的に証明するものではないが、いわゆる事件の筋を見極める重要なポイントというべきである。

それはさておき、原判決がこの点に関する証拠として具体的に摘示し得たのはやはり被告人及び寛二のPS及びGSのみである。そして原判決はこれらの供述にいずれも信用性を認め、その根拠を示しているので、以下その是非につき判決の摘示に従つて逐一検討を加えることとする。

四 被告人及び寛二の捜査段階での供述の信用性について

1 原判決は、判決理由中、弁護人の主張に対する判断の「二 脱税の犯意及び実行行為について」1において、被告人の検察官及び大蔵事務官に対する供述を「バー、キャバレーの業界では多額の脱税をするのがあたりまえであり、また私は経営する店舗の数を増やすための資金や、個人的借入金を返済したり、自宅やモーターボートを購入するための資金が必要であつたため、過少申告していたものである。私は父(寛二)に売上金の管理、資金繰り、経理等をしてもらつており、確定申告書の作成も父に任せていた。確定申告書作成前には、利益から借入金などの支払をするとどの位残るかなという相談をする程度で、後は父に任せており、できあがつた確定申告書は、所轄の税務署に提出する前に父から見せられている。毎年の売上は六億円から七億円位あり、確定申告書に記載された収入や税額を見て、過少申告であることは十分承知しながら、父にそれを所轄の税務署に提出してもらつていた。昭和五一年分の所得税確定申告書は昭和五二年三月一〇日過ぎ丸正マンション四〇五号室で、昭和五二年分は昭和五三年三月一〇日過ぎに鎌倉の自宅で、昭和五三年分は昭和五四年二月中旬ころ鎌倉の自宅で、寛二名義の所得税確定申告書は昭和五四年三月一〇日過ぎころ、鎌倉の自宅でそれぞれ父から見せられ、株式会社加藤の昭和五三年三月期の法人税確定申告書も、昭和五三年五月下旬ころ、鎌倉の自宅で父から見せてもらつたが、売上高は三〇〇〇万円位少なくしてあつた。」と要約したうえで、その供述及び寛二の供述について、

〈1〉 被告人の供述のうち脱税の犯意に関する部分は、被告人が長年バー、キャバレー業界で働き、独立以前から経営に参画する経験を有し、その内情に精通していることや、昭和四九年から僅か三年余りのうちに合計一六店舗を開店し、そのため相当額の資金を要していること、また昭和五一年二月にはモーターボートを三五九六万円で、同年八月には自宅を一億五〇〇万円で購入しており、そのローン返済にも多額の資金を要する状態にあつたことなどの客観的事実に照らして十分首肯できるものであること

〈2〉 被告人が寛二の作成した各確定申告書を、所轄税務署に提出する前に見せられ、内容を承知しながら、その提出をさせていた旨の供述を含め、被告人の供述は捜査段階において一貫していること

〈3〉 寛二も検察官及び大蔵事務官に対し、おおむね被告人の供述に沿う供述をしていること

〈4〉 被告人は、昭和五四年四月から、寛二は同年六月から、いずれも国税局において国税査察官から質問を受け、それぞれ、職務分担、営業状況、脱税の犯意、確定申告書の作成及び所轄税務署への提出経過などの事実関係について詳細に供述しているものであるところ、その間被告人及び寛二は在宅のままで任意にできる立場にあつたものであること

〈5〉 国税局における質問・調査のかなり早期に刑事事件に発展することが予測されていたもので、被告人及び寛二もその認識を有していたことが認められること

〈6〉 本件が国税局から検察庁に告発される以前の段階において、被告人及び寛二には弁護人が選任され税理士も関与しており、右弁護人選任後の検察官による取調べに際しても、被告人及び寛二はおおむね国税局における質問の際と同様の供述をし、犯行を認める供述をしていること

〈7〉 両名の大蔵事務官及び検察官に対する各供述は関係証拠とも符合していること

以上の七項目の理由を列挙して十分信用することができるとした。原判決は、この問題については、さらに前記「二 脱税の犯意及び実行行為について」の2及び3のところで、原審における弁護人の主張に対する見解として詳論しているので、弁護人の見解はそこで詳しく述べることとし、ここでは、二、三の問題点を指摘しておくにとどめる

まず、前記〈1〉についてであるが、被告人の供述内容は、要するに相当の資金を必要としたため脱税したという事業者に共通な一般的理由を述べたことに帰し、またその裏付けとするところの多数の店舗を開店するなどしたため多額の資金を必要としたという事実は、脱税行為と必ずしも直結するものではなく、脱税の犯意の裏付けとしてさほどの意味を有するものではない。脱税の動機、犯意について、被告人に特有な事情をあげ、被告人しか知り得ない客観的事実の裏付けがあるというのであれば、その供述の信用性は高いが、本件の右供述はそのようなものとはかけ離れ、供述してもしなくても何ら意味のない内容といつても過言でない。このような内容の乏しい供述を取り上げざるを得ないところに、原判決の判断の立場が窺えるのである。

前記〈2〉については後述するが、その供述は全く具体性を欠く概括的な内容にとどまり、しかも、大蔵事務官に対する供述と検察官に対する供述を比較すると、前者では、申告書を見た時期・場所は思い出せないなどとしながら、後者では、一応の日時・場所を供述するなど内容が変遷しており、到底「一貫している」とはいいがたいものである。

前記〈3〉についても後述するが、予め一言しておくと、いうまでもなく被告人と寛二は実の親子で、捜査の当初から実質的に両名とも被疑者としての立場にあり、その供述の信用性に関しては、同一の事情の下に判断されるべきものであつて、被告人の供述の信用性の判断の根拠として寛二の供述との一致をあげることは全く無意味だということである。

前記〈4〉〈5〉〈6〉についても後に項を改めて詳論するが、一言すると、〈4〉については、脱税事件において国税局の捜査段階では、身柄を拘束されることはあり得ず、在宅で供述することは当然のことであるが、在宅であるが故に供述に任意性・信用性が認められる可能性が高いというのであれば、査察段階の供述はすべて任意性・信用性が高いということになるのであろうか。警察捜査においては、原判決が指摘するように、在宅での供述か否かは信用性判断の上で意味を有し得ようが、それと査察調査を同列に扱うことは不適当である。査察調査では、むしろ供述の信用性に疑いのある事例が少なくないことは容易に推測できるところである。一言で言えば、ここでは「司法」ではなく、「行政」の観念が先行し、最終的な課税金額と告発の有無を巡つて当局と被疑者との間で取引がなされるのが通例であり、その結果が「供述」となるのである。

といつて、弁護人は、国税当局の在り方ついて非難する意図を有するものではなく、行政機関としては当然の対応ともいうべきものと理解している。このことは査察を受けた者のみならず、租税刑事事件の捜査に関与した者にとつて常識となつており、さればこそ告発を受けた検察官は、告発に至る経緯を十分把握した上で真相を見極め適切な処理にあたる責任を有しているのである。原判決が前記〈4〉のような事柄を信用性判断の根拠としていることからみると、原判決は、査察調査の実情を十分理解していないものと考えざるを得ない。

なお、右のような実情が、単なる憶測ではなく、実際本件においてもあてはまることは、原審で取調べずみの被告人名義の昭和五四年七月付東京国税局査察部長宛上申書(泉欣七郎の検察官に対する供述調書末尾添付)の記載内容ひとつ見ても言えることである。

次に前記〈5〉については、原判決の指摘は事実に反しており、被告人及び寛二は、査察当局に対し、事件を穏便に解決してもらいたい、刑事事件に発展させないでほしいという強い期待を抱きながら査察官の捜査方針に迎合したものであつて、このことは、前記上申書の「私は真実を述べ調査に協力することを誓います。何卒下記事情をお含みおき願いまして、ご考察の上、修正申告を指導頂き、万一にも告発のないようお取計らい賜りますよう、ここにお願いに及びます。」というような記載からも認められよう。

前記〈6〉については、本件告発前の段階で被告人に弁護人が選任され、税理士も関与していることは原判決が指摘するとおりであるが、問題は弁護人、税理士の関与の程度・内容によるのであつて、本件では、弁護人は被告人及び寛二に何ら具体的指導はしなかつたことが明らかであり(第三八回公判被告人供述調書三九丁ないし四二丁、第三六回公判寛二供述調書九、一〇丁参照)、税理士についても、被告人らの供述内容如何とは全く関係ないのに、原判決は、このような実質面を無視して、単に弁護人、税理士が選任されていたという形式面だけを取り上げ、その信用性の根拠とするものである。

前記〈7〉については、被告人及び寛二の供述のどの部分がどのような関係証拠と符合するのか何ら明らかにしておらず、甚だ説得力に乏しい指摘であるうえ、事実は逆に客観的事実に反する部分が少なくないことは後述するとおりである。

以上の〈1〉から〈7〉まで原判決が指摘する供述の信用性判断の根拠は、それ自体説得力に乏しいばかりか、事実に反するものか少なくなく、これらを根拠に被告人及び寛二の供述が十分信用できるとした原判決の判断には到底承服できない。

2 原判決は前記「二 脱税の犯意及び実行行為について」2・3において、被告人及び寛二の検察官及び大蔵事務官に対する供述の信用性がないことに関する弁護人の具体的な主張に対して、具体的な見解を述べているので、以下これについて反論する。

(一) まず、被告人GSの、確定申告書作成前、寛二と申告額について相談した旨の記載について検討する。

右部分を引用すると「この申告書をいつどこで見たかについては思い出せません。申告した金額についても、いつどこで相談したといわれても思い出せませんし、親子ですのでいつも会つているわけですから、申告する時期の前には話し合いをしていたはずです。申告する金額の相談も「各店からの利益のうち店を取得するための借入金の返済や造作などの支払をするとこのくらいかな」との相談程度で、あとは父にまかせ申告をしており、できあがつた申告書も前にも述べたとおり何かの機会に見ております。その意味においてこれらの申告した金額を私が決めていると申し上げたわけです。」(昭和五四年一一月二四日付GS六丁裏)というのが全てである。

これについて、原審弁護人は供述として具体性に欠けるばかりか、確定申告という重大関心事なのに相談した日時場所が思い出せないというのは極めて不自然であり、寛二自身は査察官に対して申告書を作成する前の段階で所得金額・納税金額について相談したことはない旨供述している(昭和五四年一一月二四日付GS四丁裏)のと矛盾し、被告人の前記供述調書記載部分は到底信用できない旨主張したのであるが、原判決は、これをいずれも斥けた。

すなわち、まず被告人は寛二に経理全般を委ねていたから話し合いの内容が右程度であつても不自然ではないとするのであるが、もともと右記載を見れば明らかなように、「話し合いをした」という明確な表現ではなく、「話し合いをしていたはずです」という推測・想像にすぎないものであつて、「具体性」の程度を論ずるまでもない記載なのである。

また、原判決は、被告人と寛二は親子であり、日頃雑談的な話をしているであろうことは容易に推測されるから、その程度の雑談程度の話をした日や場所について記憶がないといつて格別不自然とはいえないとする。これまたおかしな論旨である。確定申告という事業家にとつての重大関心事が「雑談程度の話」というのであろうか。次で触れるように、被告人は大蔵事務官に対して、確定申告書を寛二から見せられた日時場所を思い出せない旨供述しているのであるが、原判決の論旨からいけば、確定申告書を見るということも「雑談程度の話」ということになろう。

寛二の供述との関係についても、原判決は、被告人は申告金額を確定する相談まではしていないというのであるから、必ずしも矛盾しないとするが、寛二の供述は、結局申告書作成前に被告人と申告について話し合つたことは一切ないとの趣旨であつて、被告人の供述と矛盾することは明らかである。

以上を総合すれば、被告人が、寛二と事前に相談した事実はないと考えるのが合理的であつて、原判決の前記判断は、自己の結論を導くためのこじつけと言わざるを得ない。

(二) 被告人が寛二から虚偽の内容の確定申告書を見せられ、これを所轄税務署に提出することを了承したとする被告人の供述について、まず、大蔵事務官に対する供述は、前記GSにある「この申告書をいつどこで見たかについては思い出せません。」「でき上がつた申告書も前にも述べたとおり、何かの機会に見ております。」という部分があるのみである。

ところが検察官に対する供述調書では、次のように記載されている。

「私の五一年分の確定申告書は五二年三月一〇日過ぎ頃墨田区江東橋五丁目の丸正マンション四〇五号室で父から見せられたと記憶しています。」

「私の五二年分の確定申告書は五三年三月一〇日過ぎ頃鎌倉の自宅で父から見せられてその収入や税額等を確認して過少申告であることを承知しながら藤沢税務署へ提出してもらつたのです。」

「私の五三年分の確定申告書は五四年二月中旬頃鎌倉の自宅で父から見せられて営業収入がないことにしてあることを知りそのまま藤沢税務署へ提出してもらつたものです。」

「加藤寛二名義の所得税確定申告書は五十四年三月一〇日過ぎ頃鎌倉の自宅で父から見せてもらいましたが、大船のヴィーナスと大宮の歌麿が父の営業名義になつているため父が書いてくれて藤沢税務署に提出したものです。」

「株式会社加藤の五三年三月期の確定申告書は五三年五月下旬頃、鎌倉の自宅で父から見せてもらい第一期営業報告書も見せてもらいました。」(以上昭和五五年三月五日PS)

このようにPSでは寛二から各確定申告書を見せられた日時場所を特定して供述しているのであるが、原審弁護人は、このような供述の変遷は不自然であり、検察官の誘導に対して被告人が迎合して供述したものとみるべきであり信用できない旨主張したところ、原判決は、まず、このような記憶の回復や変化があつても格別不自然ではないとする。

しかしながら、被告人の場合そもそも大蔵事務官に対して確定申告書を事前に見たこと自体認めているのだから、その日時・場所について記憶があれば当初から述べるはずであり、記憶がないとすれば(見たのに日時場所の記憶が全くないというのが不自然なことは前述したとおり―一九頁)、それが後日回復されることは普通ありえない。もし回復されたというなら、たまたまこれに付随して特別の事情があつたことを思い出したというような場合であろう。ところが、PSの記載では、そもそも記憶が回復された原因が全く示されていないばかりか、いずれの確定申告書についても画一的に、単に日時・場所が述べられているのみで、その状況が全く欠落している。この記載自体をみれば、被告人自身全く記憶がないのに、検察官が適当な日時・場所を押し付けてでき上がつた「作文」であることは明らかではなかろうか。

検察官であれば、重要な供述の変遷があつた場合、信用性を確保するため、変遷の理由を供述させて調書化することが必要なことは誰もが知つているが、本件の場合、そのようになつていないのは、単に捜査技術として拙劣であるというのではなく、検察官による一方的押し付けであるためであるとしか考えられないのである。

次に原判決は、供述の変遷についての被告人の公判廷での供述に言及して、検事に言われ、確定申告書の収受印の半月か二〇日以上前に見たようにでたらめな日を言つた旨の供述は、前記PS記載の日とは一致しないとして到底信用できないとする。しかし、原判決の右判示は、被告人の供述の片言隻句に拘泥し、その趣旨を正解しないものであつて、前提を誤つている。

しかし、原判決の右判示は、被告人の供述の片言隻句に拘泥する余り、その趣旨を正解しないものであつて、前提を誤つている。なるほど、この点に関する被告人の供述は必ずしも明瞭とは言い難く、原判決がこれを前記のごとく理解したのやむを得ない面もあるが、供述全体から判断すれば、その趣旨は次のようなものであると言わねばならない。

すなわち、被告人は検察官による取調べにおいて、検察官から各確定申告書を見た時期について質問された際、実際にはこれらを見た事実がなく、したがつてその記憶もなかつたが、取調べに対しては当初から一貫して迎合する姿勢をとつていたため、これらを見た時期についても何らかの具体的な供述をする必要に迫られた。そこで、被告人は供述の手掛かりを得るため、検察官に対し、申告書が所轄税務署に提出された時期を尋ね、これに対して検察官がたとえば「五月だ」と教えた場合には(なお、検察官は被告人の問に対し、具体的な日付までは教えなかつたものである。この点は控訴審において立証する予定)、被告人は当該確定申告書が所轄税務署に提出された時期が五月末であると思い込み(被告人は法人税、所得税ともにその申告期限は月末であると認識していた。この点も控訴審で立証する予定である)、月末ころを基準として、その半月とか二〇日前には既に申告書が作成されていたであろうとの推測のもとに、確定申告書を「見た」時期を適当に供述した。

被告人の原審公判廷における供述の趣旨は右のようなものであつた。

したがつて、被告人の公判廷における供述と前記PSとの間には、原判決が指摘するような齟齬は存しないのであつて、被告人の右公判廷供述が虚偽であるとは決して言えないのである。

被告人に対して質問をなした原審弁護人も、被告人の「半月とか二〇日くらい前の日にちを言つた」との供述が確定申告書の収受印の日付を基準にしたものと終始誤解していたため、被告人との問答がいかにも不得要領なものとなつてしまつたものであるが、被告人の右供述の真意は右に述べたとおりであつて、原判決の右判断が失当であることは明らかである。

前述したように、本件は、脱税の実行行為を行つたのはすべて寛二であり、被告人は、これに予め指示したか、あるいは、作成された内容虚偽の確定申告書を寛二から見せられてこれを了承したという事案であつて、被告人の右行為が実行行為への関与として刑責を問われたのであるから、査察官も検察官も、右の点の解明と裏付けが重要であることは百も承知のことであろう。本件では、多数のGS、PSが作成され、特にPSは詳細な内容のものであるが、肝心の右部分は、先に列挙しただけなのである。特に検察官とすれば、被告人が寛二から、いつ、どこで、どのような状況で確定申告書を見せられ、どのように対応したのかを詳細に調書化するのが当然であるが、その肝心かなめの部分は、先ほどのわずか数行ずつの記載しかないのである。これを見れば取調べの実態がどうであつたか、炯眼な裁判官なら容易に見抜くはずであると弁護人は考える。

(三) 各確定申告書の署名・押印について、本件においては、被告人自身は一度も自署しておらず、すべて寛二において代筆しており、殊に被告会社の確定申告書の作成の際においては、寛二は自らの字体を代えて被告人の字体に似せて代署したのであるが、各確定申告書を所轄税務署へ提出前に見ているのであれば、何もわざわざ寛二に代署させずとも自署すれば足りるはずであり、殊に被告会社の確定申告書については、小西税理士から本人に自署させるよう言われていたのであるから(第三二回公判寛二供述調書二三丁裏)、寛二がわざわざ被告人の字体に似せてまで代署する理由はないはずであり、結局、被告人は事前に確定申告書を見た事実はないとみるのが自然であるとの原審弁護人の主張に対して、原判決は、寛二が署名にさほど注意を払つていなかつたとし、被告人が署名していないからといつて、被告人が確定申告書を見ていないとはいえないとして、弁護人の主張を退けた。

しかし、これでは弁護人の主張に何ら答えていないに等しく、全く納得のいかない判示であるが、それはさておくとしても、寛二が署名にさほど注意を払つていなかつたとする根拠として原判決が指摘するところを検討してみると、まず、寛二が昭和五二年分及び五三年分の被告人の所得税確定申告をする際、小西税理士が加藤寛(被告人)と署名した申告書をそのまま税務署に提出している事実をあげるが、所得税確定申告書は、本人署名欄しかなく、代表者と経理責任者の署名欄のある法人税確定申告書と異なり、筆跡の異同を判断する手掛かりが申告書自体にあるわけではないのであるから、小西税理士が代署した所得税確定申告書を税務署に提出したからといつて、寛二が署名に注意を払つていなかつたとはいえない。むしろ、法人税確定申告書においては、代表者自署押印欄と経理責任者自署押印欄の位置が近接していると同時に、本件では被告人と寛二の氏名がわずか一字(それも「二」という文字がつけ加わるだけである)異なるだけであつて、一見してその字体の異同が判明するという事情があるため、寛二が法人税確定申告書の代表者と経理責任者の各署名をことさら異なつた字体で記載し、しかも代表者の字体は被告人の字体に似せたという事実からすれば、寛二が署名に注意を払つていたことは明らかであろう。

また原判決は、寛二が公判廷において、小西税理士からいつも本人に署名させなければだめだと言われていた旨供述していることについて、小西は捜査公判を通じて寛二に対して被告人に自署させるよう注意していたことについて供述していないことを指摘するのであるが、小西の捜査・公判での供述調書を見れば明らかなように、この点について小西は何ら質問されていないのであるから、供述していないのにすぎないのである。

さらに原判決は、被告会社の法人税確定申告書について、代表者と経理責任者の字体が異なれば所轄税務署は受け付けるのが通常であるから、寛二は従来と同様被告人に自署させることなく、単に字体を変えて被告人名を記載したにすぎない旨判示しているが、これは、寛二が単に字体を変えただけでなく、前述したように被告人の字体に似せて記載したという事実を無視した議論であつて、到底納得できるものではない。

この確定申告書の署名・押印の問題に関連して、ここで論じておきたいことは、この点に関する寛二の捜査段階での供述についてである。この点は原審で弁護人が指摘したのであるが、重要な事柄であるのに原判決は何故か言及してない。被告会社の法人税確定申告書の代表自署押印欄の署名について、寛二は、査察官に対しても、検察官に対しても、被告人自身で署名したと供述しているのである(昭和五四年一一月二四日付GS、昭和五五年三月二日付PS)。しかし、右供述が虚偽であることは、被告人自身の供述からして明らかであり、検察官自身もこれを認めて、冒頭陳述書においても右署名が寛二の代署であることを主張しているところである。

では何故このような調書となつたのであろうか。

確定申告書の筆跡自体では、よほど注意深く検討しないかぎり被告人自身の署名でないことには気がつかない。査察官の調書においては、この点に注意を怠り、字体が異なることから、被告人の自署と思い込み、寛二に対し、「被告人にサインさせた」との前提で質問し、一方、寛二自身も、後述するように、本件は被告人(のみ)に責任を負わせるとの査察官の方針に迎合するとともに、署名というものに注意を払つていたためにあえて自分が代署したとの異議を申し立てなかつた結果、GSの記載となつたものと考えられる。そして、検察官においては、右GSに疑問を抱かず、そのまま同旨のPSを作成したものと考えられる。

もつとも、被告人のPSでは、「申告書の代表者の加藤寛と書いてある字は私の筆跡によく似ていますが、私が書いたものではないような気がしますので、父が私の字に似せて書いたものではないかと思います。」(昭和五五年三月五日PS)と記載されているのであるが、同PSは寛二の前記PSより後に作成されたものであり、検察官はこの段階で当然寛二の前記供述に疑問を抱いていたはずであるが、その後この相違を調整していないことは不可解である。検察官は寛二の供述が虚偽であることを少なくとも被告人の右供述の段階で知つたはずであるが、この問題を追求すると、せつかく被告人が寛二の身代わりとして全責任を負おうとしていることに支障が生じると危惧したためではないかとも推察できる。

いずれにしても、右寛二の供述が虚偽であることは、同人のGS、PSの信用性を判断するうえで誠に重大である。原判決は、被告人及び寛二の大蔵事務官に対する各供述が関係証拠とも符合していることをその信用性を認める根拠としていること前述したところであるが、右申告書の署名という重要な事項についての寛二の供述が客観的事実に反する虚偽のものであることを、原判決はどう考えるのであろうか。

(四) 脱税の動機に関して、被告人は検察官に対し、業界における脱税の風潮をあげ、さらに大沢進が二七〇万円と記載して過少申告をしたり、大沢昱が無申告であることを知つていた旨供述していることについて、被告人が同人らの脱税行為を知つていたという証拠はなく、右供述も被告人らの脱税の犯意を強調するために検察官が既得の知識により被告人を誘導し、被告人もこれに迎合して供述したものであつて、信用性できないとする原審弁護人の主張に対し、原判決は、被告人が大沢らと共同経営までしており、公判廷でも大沢昱の事務所へも行つて同人とよく話をする旨供述し、寛二も検察官に対し、被告人から大沢らと本件について話をしたと聞いた旨供述していることからすると、被告人が大沢らの脱税状況について知つていたとしても何ら不自然とはいえず、検察官の誘導によるものとはいえない旨指摘して、弁護人の右主張を退けた。

しかしながら、一般論として脱税している者が少なくないことは誰しもが知つていることであるが、前記のような大沢兄弟の申告状況について被告人が両名と本件査察着手の後話し合うことがあつたとしても、申告の具体的金額まで知ることは考えられず、この点は大沢兄弟に対しても同時に査察に着手した当局から知り得た知識と考えるのが自然であり、被告人自身も公判廷でその旨供述しているところである(第三九回公判被告人供述調書四丁裏ないし六丁裏)。

したがつて、この点は、検察官が査察着手後に被告人が得た知識をあたかも以前から知つていたことにして脱税の動機を補強すべく調書化したものと考えるのが合理的であり、被告人調書の信用性を減殺する一つのポイントであるといつてよい。

(五) 同じく脱税の動機に関連して、被告人及び寛二は、検察官に対し、脱税した金額について将来修正申告すると共に、それ以後は正しい申告をしようと考え、帳簿書類を保存していた旨供述していることについて、脱税により蓄財をなした者が修正申告して税金を納めようと考えるのは不自然極まりなく、右供述は、前記大沢らが帳簿を残していなかつたことから、被告人らが帳簿を残していた理由を合理化し、被告人の脱税の犯意を明確にさせるため、検察官が誘導して供述させたものであつて信用できないとする原審弁護人の主張に対し、原審は、右供述が被告人や寛二の真意であつたかについては直ちに信用できるものとは言えないが、としながら、被告人および寛二の右供述調書接待の記載を見れば、検察官が被告人や寛二の弁解を十分に聞き、それを調書化したものであることは十分窺えるうえ、殊に寛二の右部分の記載中には、書類を保存していたことについて、被告人が大沢昱や大沢進から馬鹿にされたことを聞いた旨の、寛二が供述しなければ捜査官には判明しないような事実の供述も含まれていることに照らすと、検察官の誘導によるものとはいえないと結論して、弁護人の右主張を退けた。

しかしながら、いずれも全く説得力を欠く立論といわざるを得ない。

まず、「供述調書全体の記載」などという曖昧な根拠で「検察官が被告人及び寛二の弁解を十分に聞き、それを調書化した」という結論を導くことができるはずはなく、一体供述調書のどの部分が右結論に導くのか具体的に明らかにしなければ無意味な立論である。

また、仮に「弁解を十分に聞いた」としても、その弁解が真実に合致したものかどうかとは直接関係せず、調書の信用性を高めるものとは言えないこと当然である。

さらに、仮に被告人及び寛二の前記供述が検察官の誘導によるものではないとしても、もつともらしい理由づけを望んでいる検察官に被告人らが迎合した結果である可能性は十分にある。

次に、書類を保存しておいたことについて、被告人が大沢兄弟から馬鹿にされたことを被告人から聞いた旨の供述の価値であるが、全く些細な事柄であり、これをもつて、「被告人しか知り得ない事実」というほどの内容のものとは到底言えない。自白の信用性を判断する重要なメルクマールの一つとして被告人による新たな事実の暴露ということが言われるが、本件の供述調書において、この暴露にあたるようなものは皆無なのである。

また原判決は、被告人及び寛二は保存していた書類によつて売上高などを把握していたことも供述しており、被告人らが開店資金調達などのため、銀行融資を受けていたことからすると、売上高や利益の把握のためもあつて書類を保存していたという面も考えられると指摘するが、もしそうであれば、被告人らからそれを認める直接の供述がなされるのが自然である。ところが、そのような供述はなく、却つて、前記のような不自然な供述になつていることが問題にされるべきであろう。

いずれにせよ、帳簿書類の保存に関する供述部分を見ても、被告人らのGS、PSの信用性に問題のあることは否定できないところである。

原判決もさすがにその信用性に疑問を抱かざるを得なかつたのであるから、更に一歩を進めてかかる供述調書が作成されるにいたつた所以を究明すべきだつたのである。

(六) 「大船ヴィーナス」及び「大宮歌麿」の両店舗の営業名義に関する被告人の大蔵事務官及び検察官に対する供述の信用性についてである。

そこで被告人は、両店舗の営業名義を寛二にしたのは、風俗営業許可申請にあたり、店舗の賃貸借契約書を提出する必要があつたが、被告人が風俗営業取締法違反の前科の関係で被告人名義を使用できなかつたためである旨供述している(昭和五四年一〇月二五日付GS六丁裏ないし八丁裏、昭和五五年三月五日付PS一丁裏、三丁表)が、実際は、右許可申請当時被告人名義で風俗営業許可申請をするのに右供述にあるような法律的障害は何ら存在しなかつたし、許可申請にあたり、賃貸借契約書の添付も必要とされていなかつたのであるから(第三七回公判被告人供述調書三七丁裏ないし四二丁裏、第三八回公判被告人供述調書一八丁裏ないし一九丁表)、右供述は事実に反する虚偽の供述であり信用できないものであるとの原審弁護人の主張に対して、原判決は、右供述が事実に反するもので信用できないものであることを認めながら、「そもそもバー、キャバレーの営業においては、真の経営者が営業名義人となることは少なく、従業員等を営業名義人とすることも世上一般に行われていることであつて、営業名義は、それが真の経営者を表わすというような種類の重要な事柄ではない」としたうえで、「このような瑣末な事柄について事実に反した供述をしているからといつて、直ちに供述全体の信用性を低下させるものとはいえない」と判示して、弁護人の主張を一蹴した。

しかしながら、これは問題の所在を全く理解していない不当な判断と言わざるを得ない。問題は被告人が虚偽の供述をしたその理由なのである。

右供述は、被告人が右両店舗を含む全店舗の実質上の経営者であるという検察官の主張を補強する大きな役割を担わされているものであり、「瑣末な事柄」などではないし、そもそも、問題は、捜査官が全店舗が被告人の単独経営にかかるものであつて、両店舗も被告人が経営しているものとの前提の下に、それが寛二名義になつていることについての合理的な理由の説明を求め、これに対し、被告人が捜査官に迎合してもつともらしい理由をつけた創り話であるということである。この事情を被告人は公判廷で次のように供述している。

(弁護人)

どうしてこういう供述をしたんですか。

(被告人)

契約の名前が変わつたことが問題だつたのですが、どうして変えたかという理由をそれなりに付けなければいけないわけですが、その理由が私には分からなかつたんです。父がやつたことですから。ですが、その書類関係から判断して、契約の名義を変えたのは事実であるし、その理由付けをして、一番取つて付けたようないわゆる簡単な理由にしたのです。

(弁護人)

名義を変えた理由をいろいろ聞かれたわけですか。

ところが。あなたはその理由が分からないと。

じゃ、分からないと言えばいいじゃないですか。

(被告人)

分からないと私が言えば、主体性が父になつてしまうということで、それでは非常によくないということで

(第三七回公判被告人供述調書四二丁表ないし四三丁表)

そもそも、被告人の供述が信用できないことを認めた以上、被告人が何故虚偽の供述をするに至つたのか、その理由を究明すべきであるのに、原判決は、この問題を「瑣末な事柄」にすぎないとして、それ以上の判断を回避している。捜査段階での前記供述は、被告人及び寛二が捜査段階を通じて一貫して取調官の意に迎合していたことを示す一端であり、この供述からも被告人らの供述全体の信用性を再検討すべきであるのに、原判決は、不当にも「瑣末な事柄」などと一蹴して問題の核心をすり替えてしまつたと言わざるを得ない。

(七) 右「大船ヴィーナス」及び「大宮歌麿」の両店舗の所得につき、寛二が自己名義で確定申告したことについて、寛二は大蔵事務官及び検察官に対し、被告人の所得として申告すると累進課税により税額が大きくなり、資金繰りに苦しくなるので、これを避けるためであつたなどと供述しているが、そうであればむしろ全く申告しないという方法を選べば足りるはずであつて不自然であるとの弁護人の主張に対し、原判決は、被告人や寛二が将来税務調査を受ける前にできる限り納税申告をしているいわば正規の店舗にしたいとの気持を有していたであろうことは容易に推測できるところであつて、申告するとすれば寛の所得とした場合の累進課税の不利益を避けるため寛二名義で申告したという理由も十分納得でき、寛二の右供述が格別不自然なものとはいえないとした。

しかしながら、原判決の右判示は、寛二名義の両店舗も被告人の単独経営にかかるものであるという誤つた判断を前提にした議論であつて、到底納得できないものである。

この問題は後にまとめて論ずることとするが、寛二名義にした真の理由は、寛二がその一つとして検察官に供述したところの「妻の老後の生活保障のために自分の名義にしておいた」(昭和五五年二月二七日付PS)ことにあるとみるのが素直である。寛二名義にすることが結果的に所得税の軽減になることは事実であることから、検察官は、寛二の脱税の犯意を強調するとともに、両店舗も被告人の単独経営にかかるものであることを補強するために、前記理由のほかに右所得税の軽減というもう一つの理由を押し付け、寛二もこれに迎合したというのが実態と見るべきであろう。

(八) 被告会社の取締役会を昭和五三年三月二〇日鎌倉の自宅で開催した旨の被告人及び寛二の検察官に対する供述の信用性について検討する。

いうまでもなく、右取締役会は被告人名義の全店舗を被告会社の店舗に組み込む旨の重要な内容を記載した同日付の取締役会議事録に照応するものであつて、昭和五十三年度の被告会社の法人税確定申告にかかわる重要な事柄であるが、被告人及び寛二は、検察官に対し、前記日時、場所で実際に開催した旨供述している(昭和五五年四月一一日付被告人PS、昭和五五年四月一二日付寛二PS)。

これに対し、原審弁護人は、そもそも被告人と寛二のみで経営している零細同族会社においてわざわざ取締役会を開催するはずがなく、被告会社の取締役であつた青山昭男が査察官の質問に対して、被告会社の役員になつていると思うがどのようなポストかわからない旨の供述をし、公判廷においても取締役会について全く言及していないことからも右取締役会開催の供述が虚偽であることは自明であると主張したのであるが、原判決は、右開催の事実は公判廷で認めており、被告人及び寛二の検察官に対する各供述調書はいずれも具体的かつ詳細であり、また、青山の公判廷での供述については、取締役会開催について何ら質問されておらず、何ら供述していないのは当然であるとして、取締役会が実際に開催されたと認定し、弁護人の主張を退けた。

しかし、原判決の右判示はいずれも当を得ていない。

まず、寛二の公判廷での供述であるが、なるほど同人は第一四回公判においては前記趣旨の供述をしたが、その後の公判でこれを訂正し、明確に取締役会開催の事実を否定している(第三五回公判寛二供述調書一二丁表ないし一三丁表)のであつて、原判決はこれを見落としている。

また、被告人らの検察官に対する供述が詳細であるというが、現に存在している取締役会議事録に記載されている内容に沿つたものばかりで、その反面、右取締役会開催の際の具体的な状況、例えば自宅のどこで開いたのか、寛二以外の役員はすべて東京に在住し勤務場所も東京であるうえ、全員夜間勤務に従事しており、昼間は通常睡眠時間であるのに、何故わざわざ鎌倉という不便な場所を選び、かつその時間も寛二以外の役員にとつて不都合な昼間としたのか等についての供述は一切なく、供述の信用性を担保するものとはなつていない。

青山の供述については、原判決は同人の質問てん末書の記載について判断していないし、公判廷においても、被告会社の経営に参画したことがない旨証言しており、当然取締役会に出席したことがないことを窺わせる内容となつているのである。

このように取締役会が実際に開かれたはずがないことは明らかであるのに、原判決は被告人らの供述の信用性に傷をつけまいとして前記のような非常識な判断をする誤りを犯したと言わざるを得ない。

(九) 本件法人税確定申告の際、寛二が小西税理士に正しい金額の計算をしてもらつたことがある旨の寛二の大蔵事務官に対する供述(昭和五四年六月一日付GS)について、小西税理士は、帳簿等を見ておらず、寛二から示された台帳及び集計表に基づいて確定申告書を作成していたにすぎないから、正確な税額計算ができるはずはなく、寛二の右供述は虚偽であるとの原審弁護人の主張に対し、原判決は、仮に右供述が事実に反するとしても、その供述は寛二が事務員の福士幸男に被告会社の昭和五三年三月期の試算表の売上金額などを減少させて試算表を改ざんさせたことに付随して供述されたものにすぎず、寛二の供述全体の信用性を左右するものとはいえないとした。

しかしながらこれまた何と恣意的な判断であろうか。

まず、右供述が事実に反することは、公判廷における小西税理士の証言(第三〇回公判同人の証人尋問調書九丁表ないし一一丁裏)からも明らかであるのに、原判決は「仮に」などといつて判断を回避していること自体偏つた姿勢といわざるを得ないのであるが、それはさておいても、小西税理士に正しい金額を計算してもらつたかどうかは脱税の認識の有無及び脱税の実行行為の内容と密接に関連するものであつて、重要な意味を持つ事柄であることは明白であるのに、それを「付随的」と捉える原判決の判断は極めて不当である。

これまで指摘してきたように、原判決は、被告人らの供述の信用性を認めるためには、まさに「瑣末な」「付随的な」事柄を根拠とし、逆に、信用性に影響を与える重要な事柄については「瑣末な」「付随的な」事柄として処理することが目立ち、その取捨選択は極めて恣意的であると断ぜざるを得ないのである。

(一〇) 被告人の大蔵事務官に対する供述には、売上、申告額、役員報酬などの具体的数額が含まれているものが多いが、被告人が経理の実際についてほとんど無知であつたことは明らかであり、右供述は既に作成されていた寛二の供述調書や既得の資料によつて取調官が被告人を誘導して供述させたものであつて信用できない旨弁護人は原審において具体例をあげて詳細に指摘したのであるが、原判決は次のように判示して弁護人の主張を退けた。

まず、被告人が経理関係にそれほど関与しておらず取調べ当時具体的数額のすべてを記憶していたものでないことは容易に推認できるとしながら、捜査官等が被告人の記憶喚起のため各種資料に基づいて尋問することは何ら違法とはいえず、直ちに供述の信用性が失われるものということはできないとする。

しかしながら、被告人は経理関係に全くといつてよいほど関与しておらず、そもそもその方面の知識が欠如しているのであるから、「喚起」すべき記憶そのものを有していないのであつて、被告人の供述記載が「記憶喚起」によるものではないこと明らかであるから、原判決の右判示は失当といわざるを得ない。また、弁護人は供述の信用性を問題にしているのであつて、取調べの「違法」を云々しているのではないのに、原判決は、誘導による尋問が違法でないなどと見当はずれの議論をしたうえ、したがつて供述の信用性を失うものではない旨誤つた判示をしているのである。取調べ方法の違法と供述の信用性が次元の異なる問題であることはいうまでもないことであろう。

また、原判決は、被告人の供述調書の一部に寛二の供述調書の記載に類似した部分があるとしても、被告人及び寛二はおおむね同一認識のもとに行動していたものであるから、類似した供述をしていること自体格別不自然とはいえないとする。

しかしながら、被告人及び寛二が「おおむね同一認識のもとに行動していた」としても、本件においては、両供述調書の内容、供述の順序、論旨の運び方のみならず、表現方法まで酷似しており、単に「類似した供述」にはとどまらないのである(その詳細については、原審における弁護人の最終意見陳述書別表三に記載したとおりである)。

さらに原判決は、被告人が公判廷において、検察官から寛二の調書を読み聞かされ、あるいは見せられて数字の出てくるところは、寛二の調書をそのまま写した旨供述するが、被告人の検察官に対する各供述調書を子細に検討すると、売上高、利益率など重要な点において、被告人と寛二の供述は同一のものとはなつていないのであつて、被告人の公判廷における右供述は到底措信できないとする。

しかしながら、売上高や利益率などの数字は、概数として供述されているのであつて、若干の相違はあるものの、全体的には両者同一の供述とみれるものである(かかる数額に関する両名の供述が完全に一致するとすれば、それは却つて不自然であり、捜査の専門家である検察官がそのような一見して不自然と思われる供述調書を作成するはずがない。検察官は意図的に両供述の内容を微妙に相違させたものと推認される)。被告人が公判廷で「寛二の調書をそのまま写した」と供述する趣旨は、何も一字一句そのまま写したというというものではなく、寛二の調書の内容に沿つて作成されたということに解すべきものであつて、当時の取調べの実情を正直に供述したものであるのに、原判決は、自己の結論を正当化せんとして殊更言葉の揚げ足取りに終始しているにすぎない。

(一一) 被告人が確定申告手続に関与していたかどうかに関して、小西税理士はこれを否定する供述をし、福士幸男も、確定申告手続については寛二の指示を受けていた旨供述し、被告人の関与について全く供述していないことからみても、被告人が確定申告手続に関与していた旨の被告人及び寛二の供述が虚偽である旨の原審弁護人の主張に対して、原判決は、小西税理士は、寛二からメモを渡され、それに基づいて確定申告書を作成していたにすぎないから、確定申告書についての被告人の関与状況について知らないのは当然であるし、また福士幸男も昼間事務所において寛二の指示に従い機械的事務を行つていたにすぎず、被告人は昼間ほとんど事務所にいないのであるから、福士が確定申告手続について寛二のみから指示を受け、被告人から指示を受けたりしたことがないこともむしろ当然であるとする。

しかしながら、右判示は表面的形式的判断で終わり、それ以上の踏み込んだ判断を回避したとしかいわざるを得ない。被告人が申告に関与していたとすれば、小西税理士は寛二との打合せ等の機会にそのことを感じとるはずであるが、小西は、公判廷で被告人が関与したことはないと思う旨明確に証言しているのである(第三〇回公判同人証人尋問調書一四丁裏、一五丁表)。しかも同人は被告人と何回も顔を合わせており(右調書八丁表)、被告人が申告手続に関与しているのであれば、当然申告に関する話が出たはずであるのに、そのような事実は全くないのである。

福士幸男についても同様のことがいえる。申告手続は寛二一人で行つたのではなく、このように関与した第三者がいるのに、被告人が関与したことを裏付ける証人は寛二しかおらず、また、多数の証拠物の中にもこれを裏付けるものは全くないというのは、どう考えても不自然ではなかろうか。前述したように、本件被告人の関与に関する証拠は、本人の自白と寛二の供述のみなのであり、しかも、両供述の信用性には多大の疑問があるのであつて、本件は、公判廷における被告人の供述や寛二の証言を考慮に入れずとも、犯罪の立証不十分というべき事案であると確信する。

3 被告人及び寛二の公判廷における各供述について

(一) 原判決は、被告人及び寛二の捜査段階での供述の信用性を認め、一応その根拠を示したことから、これとは全く異なる両者の公判廷における供述について当然のことながら、言及している。しかしながら、これまで検討したように、両者の捜査段階における供述は、捜査官の誤つた方針に基づく誘導と被告人らの迎合的態度により出来上がつた創作であつて、信用性を全く欠如するものである反面、公判廷での供述は、事件の真相と取調べの状況を詳細に物語るものと考えるのであるが、原判決が指摘するところについて一応の見当を加えることとする。

(二) まず、原判決は、被告人の利益率などはわからない、寛二の売上高や利益率など全くわからない旨の供述を把えて虚偽であることが明らかと断じている。しかしながら、被告人については、同人が売上累計表を作成していたことは事実であり、営業責任者として日々の売上を把握するのは当然であつて、だからといつてそのことが利益率を知つていたことの証拠にはならない。

実際には利益が出ているのに、寛二から日頃売上が伸びない、利益が出ないと言われていたこと原判決も指摘するとおりで、このことは逆に被告人が利益率を把握していなかつたことの証左である。

また寛二について言えば、その供述の趣旨は、正確な計算をしたことがないので正確な額はわからないということであつて(第三五回公判寛二供述調書七丁裏参照)、原判決がきめつけるような虚偽の供述というようなものではないのである。

(三) 次に寛二の累進課税に関する供述についてであるが、確かに同人の第三三回公判ではその意味を知らない旨供述しているものの、第三四回公判では、「そういうことは、あまりよく知りませんでした。累進課税というのは、多いほど多いだろうと、それだけのことであつて、その程度にしか知識がなかつたわけです……」と供述している(同公判寛二供述調書三五丁裏)のであつて、虚偽ときめつけるような内容ではない。

(四) 寛二は被告人を一人前にして独立させようとの意図で上京したというのに、事業家として重要な納税に関して確定申告書を見せることさえしていないと供述するなど、被告人は本件に全く関与していなかつたことをことさら強調する供述に終始していると原判決は非難するのであるが、これこそ原判決の予断と偏見を如実に示すものである。本件の争点は、再三述べてきたように、被告人が確定申告に関与したことがあるのかどうかという点であり、それを巡つて弁護側は主張、立証しているのに、原判決は、当初から被告人が関与しないはずはないという予断をいだいて審理にあたつたものと考えざるを得ない。寛二が被告人に関与させなかつた事情については公判廷で詳しく供述しているところである(第三二回公判寛二供述調書二五丁表ないし二七丁裏参照)。

(五) 次に、原判決は、被告人の公判供述によれば、被告人は自らの経営する事業による利益獲得の状況につき、全く無関心であつたことになるが、それが極めて不自然であることは言うまでもなく、全てを寛二に押し付け、自らは全く関与していないとして罪責を免れようという態度が看取されると断ずるのであるが、これまた前記(四)同様、原判決の基本的姿勢を如実に示す判示である。そもそも被告人の供述から、被告人が利益獲得に全く無関心ということになるのか理解に苦しむ。被告人は、営業面のみ担当し、その他の資金、経理面はすべて寛二に委ねていたことから、利益率など数字的なことを知らなかつたことは当然であるが、だからといつてそのことが利益に全く無関心となるはずがない。このような具体性を欠き感情的ともいえる原判決の論旨には到底納得することができない。

(六) 原判決は、被告人が査察官や検察官に一人で罪をかぶるように言われた旨供述し、寛二がこれに加え取調官の心証を害さず事件にならないで修正申告で済むよう取調官に迎合して供述した旨供述していることを把えて、被告人の罪責を免れるための虚偽の供述である疑いが強いとするが、これこそ本件捜査の実態の核心であつて、その実態を見抜けず、虚偽の供述と見るところに、原判決の最大の欠陥が存するのである。原判決がこれを虚偽とする根拠について、被告人らは在宅のまま取調べを受けたとか、弁護人が選任されていたなどの事情を指摘するが、これらの問題については、既に論じたところであるので、繰り返さない(一五頁ないし一七頁)。

(七) 公判廷における供述について付言しておくと、被告人及び寛二の供述は、記録を見れば明らかなように、いずれも詳細かつ具体的であり、かつ、一貫性があり、極めて説得力に富むものといえる。そのためか検察官においてはほとんど反対尋問らしい反対尋問をしておらず、その反対尋問によつて被告人らの供述が弾劾されたことは皆無に等しい。検察官は、捜査段階での作文ともいうべき供述調書だけに頼らざるを得なかつたのが実情である。一方、裁判所も、補充尋問はしているが、被告人らの供述の信用性に疑問を抱いた形跡は窺えない。もし原判決のように虚偽と判断するのであれば、公判廷において検察官が反対尋問をしない(できない)以上、積極的な補充尋問がなされて然るべきものである。

4 本件における捜査の実態について

被告人の実行行為に関する被告人及び寛二の大蔵事務官および検察官に対する供述の信用性については、これまで検討してきたように、各調書の記載自体や客観的事実との対比等から十分判断し得るものであるが、それにとどまらず本件捜査の実態を把握すれば、より鮮明に理解できると考える。そこで以下この点について原審で取り調べられた証拠に基づき論ずることとする。

(一) 大蔵事務官(国税査察官)による捜査

(1) 東京国税局査察部(以下国税当局という)は、斉藤茂及び田中正人を主任担当官として、本件所得税法・法人税法違反各嫌疑事件の捜査にあたつた。国税当局が本件飲食店経営については被告人がその事業主であり、かつ脱税の実行行為者であるという予断のもとに本件捜査を開始し遂行していたことは、各質問てん末書前文の記載からも明らかである。国税当局が右のような予断を抱いた根拠は、当座預金口座が被告人の名義で開設されていたこと、鎌倉の自宅や大宮市仲町所在の土地・建物が被告人名義で登記されていたことなど、被告人の名が表面に出ていたことにあると推測される。

(2) 問題は、国税当局が捜査の過程、それもその初期の段階において、本件事業の実質的経営者が実は寛二であつて、被告人は対外的・表面的にはともかく、実際には何ら事業の重要事項の決定に関与しておらず、また本件所得税・法人税各確定申告手続にも関与していないという事実を認識したにもかかわらず、当初の捜査方針に固執し、その見直しをしようとしなかつたことである。

すなわち、公判廷における被告人及び寛二の各供述並びに大澤榮造及び泉欣七郎の各PSを総合すれば以下の事実が認められる。

〈1〉 国税当局は当初被告人の取調べに着手したが、被告人が事業の実態、なかんずく資金の調達やその運用の実態、確定申告の内容等経営における重要事項の実情にほとんど通じていないことが判明したこと

〈2〉 そのため査察官が被告人に対し「寛二を先に取調べるから、被告人はしばらく来ないでよい」旨告げたこと。

〈3〉 査察官、とりわけ田中正人査察官が被告人に対し、「被告人が事情を知らないのはわかつている、寛二が全部やつているんだが、二人で罪になる必要はない、結果は同じだから罪は被告人一人で負えばいいではないか、どうせ修正申告をするのであれば、供述調書の内容は問題にならないから、そのとおりです、今後いたしませんからよろしくお願いしますと言えば執行猶予になるだろう」という趣旨の発言をしたこと

〈4〉 被告人だけが責任を負うことについては、国税当局と被告人および寛二との間の了解事項であつたこと

〈5〉 寛二の責任を追求しないという国税当局の姿勢を知つて寛二がいたく感謝したこと

〈6〉 寛二は当局の捜査開始直後、泉経済研究所の主宰者である泉欣七郎に、本件は修正申告をして穏便に解決するのがよく、そのためには国税当局の心証を害しないように注意しなければならないとの助言を受け、国税当局の取調べを受けるにあたつてはその感情を刺激せず、またその意思に逆らわないようにしなければならないと肝に銘じたこと

〈7〉 田中査察官の取調べを受けた際、寛二が「売上金額には料飲税も含まれているから、これを控除すべきである」旨の供述をしたところ、同査察官が「そんなことを言うと心証が悪くなる」等の発言をしたため、寛二は国税当局から不利益な扱いを受けないためにはその見解に同調しなければならないことを改めて痛感したこと

〈8〉 被告人及び寛二は本件を国税当局との話し合い(寛二は、修正申告するためには国税当局と円満に協議し、その了解を得る必要があるものと考えていたのである)で解決することが最良の方法と理解していたため、国税当局の意向に迎合した供述をなしたこと、またそのためには事実に反する供述までなしたこと

〈9〉 昭和五三年分の事業所得につき寛二が被告会社の所得として法人税の申告をしようとしたところ、田中査察官と意見が対立し、国税当局の心証を害することをおそれて、結局これを実行しなかつたこと

〈10〉 本件査察調査開始後、国税当局(検察官も)は専ら寛二を相手として修正申告等についての折衝をしていたこと

これらの事実によれば、国税当局は本件捜査の早い時期において、本件飲食店営業の事業主が寛二であること、本件所得税及び法人税確定申告手続も専ら寛二がこれを行い、被告人は何ら関与していなかつたことを認識していたにもかかわらず、当初の捜査方針乃至見通しを洗い直そうとしなかつたばかりか、寛二・被告人父子が予想もしない国税当局の査察調査を受け、動転、狼狽し、全く法的知識を欠いたままひたすら事を穏便に解決すべく、国税当局の顔色を窺うような態度に終始していたことに乗じ、右既定方針を押し付け、これに沿う供述を次々と録取していつたことが認められる。

(3) ところが、田中正人査察官は、公判廷において被告人、寛二が本件事業が共同経営であるという主張をしたことは一度もない、刑事責任を被告人一人で負えなどと言つたことは一切ない旨証言し、捜査官としていわば当然のことながら右事実を否定している。

しかしながら、右証言は、以下に述べるような泉欣七郎の前掲PS末尾添付の被告人作成名義にかかる昭和五四年七月付東京国税局査察部長岡本吉司宛上申書(以下第三上申書という)が作成された経緯ひとつに照らしても全く信用に値しないものである。

寛二の公判廷における供述及び泉欣七郎の前掲PSによれば、寛二は泉欣七郎の助言もあつて、国税当局に対し被告人及び寛二の経歴や心境等を書面をもつて開陳した方がよいと考え、同PS末尾添付の被告会社・被告人共同作成名義にかかる昭和五四年六月付東京国税局局長渡部周治宛上申書(以下第一上申書という)を作成し、これを国税当局に提出した。

ところが、国税当局は第一上申書の提出を受けるや、これに自ら加筆修正を加えるにいたつた。右加筆修正の実態は、寛二の昭和五五年四月一二日付PS末尾添付の上申書(以下第二上申書という)に残されたその痕跡が赤裸々に示すとおりである。すなわち、国税当局(具体的には田中査察官)は、第一上申書中、「私(被告人のこと)名義の個々の店」とあるのを「私の経営する店」と改めさせ(一枚目本文六行目)、また「父が上京したとき、父の資金をはつきりさせるためにもと、現在の二店舗を父の名義とし、父の経営とにわけたものです」との部分を全面的に削除させた(二枚目八行目)ものであるが、右事実によれば、被告人または寛二は国税当局の捜査の過程において、本件事業が被告人の単独経営にかかるものと自ら認めていたわけではけつしてなく、寛二も経営者であることを控えめながらも明確に主張していたこと、しかるに、国税当局は第一上申書に記載された被告人、寛二らの主張がその捜査方針に合致せず、これをそのまま受理するのでは都合が悪いと考え、指導という名の下に右のように強いて書き改めさせたものであることが明らかである。

かくて前記田中証言に信用性がないことは明白である。

なお、田中証言については、右以外の部分についても信用できない箇所が少なくない。たとえば、昭和五三年分の事業所得につき寛二が被告会社の所得として法人税の申告をしようと考え、その依頼を受けた大澤税理士が田中査察官に押収資料を見せてくれるよう申し入れたところ、同人がこれを拒否したことは、同税理士の公判廷における証言でも明らかであるが、田中査察官は、公判廷で拒否したことはない旨虚偽の証言をしている。

(4) ところで、寛二は、国税当局に対し、第一上申書を提出し、前記のとおり添削を受けたため、あらためてその添削のとおりに清書した第三上申書を提出したのであるが、その際、寛二が国税当局に対し卑屈な態度で臨んでいたことは、同上申書の「修正申告させて頂きたい」、「万一にも告発のないようお取り計らい賜り」たいとの文面からも優にこれを認めることができる。

また寛二は、右第一上申書につき、国税当局の添削を受けたことについて反発するどころか、国税当局が、修正申告することにより穏便に解決したいとの寛二の意向に積極的に対応してくれたものと喜び、国税当局の心証を害しないように、手直しされたとおりに上申書を書き直したものである(寛二の公判廷供述、泉欣七郎の前記PS)。

上申書の作成・提出に至る以上のような経緯は、本件捜査における国税当局の基本的姿勢と、これに対する被告人・寛二の姿勢を端的に示すものといえよう。

既に検討したとおり、大蔵事務官の作成にかかる被告人及び寛二のGSには、信用性に欠ける部分が随所に存在するが、その根本的な原因は国税当局が捜査の見通しを誤つたこと、その誤謬に気がついた後でも謙虚にこれを改めようとせず、却つてこれを被告人及び寛二に押し付けたこと、被告人・寛二らも強大な権力に圧倒され、只管その意思に従い迎合するほかなす術を知らなかつたこと、以上に尽きる。

(二) 検察官による捜査

(1) 国税当局の告発に基づき本件捜査にあたつた検察官も、被告人が脱税の実行行為者であるとの国税当局の誤つた予断に基づく捜査方針をそのまま引継いで、被告人及び寛二の取調べを行つたものであるが、その捜査態度には以下に述べるような問題点があることを指摘せざるを得ない。

(2)〈1〉 検察官は、刑事事件としての脱税事犯の捜査については専門家とはいえない国税当局の捜査の結果を、実体的真実の究明と人権擁護の見地に立つて、中立かつ公正な立場から厳正にチェックしなければならない職責を負うものであるが、本件における検察官の活動はその点において落度があつたとの謗りを免れない。

〈2〉 本件捜査を担当した検察官である証人戸谷勝壽は「ピンクサロン、キャバレー業界としては珍しく書証、証拠物が多数ありましたので、それらの証拠から計算関係、特に売上げについては証拠が揃つていましたので、違反事実については立証が容易でありました」、「事実関係をすべて認めているし、証拠により明白な事案であつた」、「起訴された場合には事実を認め数回の審理で判決に至る事案であると思われました」等と証言しているところ、立証が容易だと考えられたのは計数的側面に関してのみであつて、被告人の実行行為については何ら証拠物は存在しないという事実を看過することは許されない。

前記告発の時点において、被告人の実行行為を推認させる証拠として存在したのは、被告人の関与を認めた被告人及び寛二の各GSのみであつたが、右各GSの供述内容がいかに不自然、不合理であるかは前述したとおりである。

〈3〉 ところが、検察官は、刑事事件の捜査において第一義的に重要である実行行為者の特定及びその実行行為の具体的態様に関する独自のかつ客観的立場からの捜査をおろそかにしているが、これは計数関係に関する証拠が豊富であることに安住したか、あるいは、国税当局と同様、被告人が本件確定申告手続に関与していないことを知り、またはこれに疑いを抱いていたにもかかわらず、敢えてこれに目をつぶつたものではないかのいずれかとしか考えられないが、後者である疑いが濃厚である。

すなわち、被告人及び寛二の公判廷における各供述によれば、戸谷検察官が取調べの際、被告人に対し、「君はほとんど判らないだろうが、二人で罪になる必要はないから、(罪を負うのは)君だけでよいではないか」という趣旨の発言をしたこと、及び被告会社の昭和五三年三月期の法人税確定申告書代表者自署押印欄の署名者につき、寛二がそれは自分が書いたものであると明言したにもかかわらず、却つて「被告人がサインしたものだろう」との質問をなし、暗に右法人税確定申告に被告人が関与したことを認めさせようとの態度を示したため、寛二は国税当局による取調べの際、一旦肯定したものを今更覆そうものなら、検察官との間で紛糾を生じかねないことを懸念し、結局は同検察官の意向に従うことにしたことが認められる。

また、本件検察官捜査の特徴の一つは、検察官が長時間、多数回にわたつて被告人及び寛二を取調べており、その調書が査察官の質問てん末書に比して異常に詳細だという点である。ここから戸谷検事の「事実関係をすべて認めているし、証拠により明白な事案であつた」旨の証言には疑問を抱かざるを得ない。もし右証言のとおりであれば、検察官としては、てん末書を要約し、若干の補充をした程度の検面調書を作成するのが普通であるのに、本件ではそうではなく、詳細なPSが作成されているのである。しかも、検面調書では、本件事業の経営者の認定に重点を置いて、執拗な位被告人の単独経営であつて寛二の経営でないことを供述させているのであつて、同検事は将来被告人らから寛二の単独経営または両名の共同経営の主張が出る可能性を承知の上で予めその主張を封じようとしたことが窺えるのである。

また、他方、戸谷検事は、公判廷において「経理は寛二がしていたと思われるが、被告人が経理のことをどの程度知つていたかどうかということはよく判りませんでした」と証言しているところ、経理と税の申告とが密接に関わるものであることはいうまでもないことなのであるから、いやしくも被告人の申告手続への関与を脱税の実行行為として措定するのであれば、経理の内容に関する被告人の認識の有無・程度を捜査の重要な対象とすべきが当然であるのに、同検察官はこの点について前述したとおり、寛二の調書に基づく誘導によつて、同調書の丸写しと評するほかはない被告人供述調書を作成しているにすぎない。

そもそも、被告人の詳細なPSを作成した当の検察官が、右のような「被告人が経理のことをどの程度知つていたかどうかということはよく判りませんでした」などという証言をすること自体、自家撞着と言わざるを得ない。右証言は、結局、被告人が経理の内容等をほとんど知らなかつた事実を検察官自ら、はしなくも認めたものであり、担当検事であつた戸谷検事は、自己が作成したPSの信用性を自ら否定していることに帰着するといわざるを得ない。

さらに、これも前述したところであるが、作成された各確定申告書に被告人が目を通したという最も重要な点についての被告人及び寛二の各GSが極めて証拠価値に乏しいことは明らかなのであるから、検察官はこの点について改めて真実を究明すべきであつたのに、既に検討したように、こともあろうに誘導によつて、被告人から右GSに沿う供述(昭和五五年三月五日付PS)を獲得するに及んだのである。

(3) 被告人及び寛二は、検察官の捜査段階においても、本件を国税当局との話し合い(寛二の考えでは修正申告のこと)で解決したいと強く望んでおり、話し合いができれば刑事事件にならないと期待していたことは、寛二の公判廷における供述(第四〇回公判供述調書六丁表ないし七丁裏)のみならず、戸谷検事の証言(第二一回公判証人尋問調書七丁表ないし八丁表)からも認められるところである。

そこで、検察官の取調べにおいても、国税当局におけるのと同様、被告人らは検察官の誤つた方針に迎合し、調書が作成されるに至つたのである。

第二 本件事業は被告人の単独経営ではなく、それによる所得は被告人単独に帰属するものではないことについて

一 本件バー、キャバレー等の店舗経営の個人事業(以下本件事業という)による所得について、原判決は、すべて被告人に帰属すると認定した上で、昭和五一年分から同五三年分の同人の実際所得金額は合計二億六五九四万二二七四円、ほ脱額合計金一億七一四万六四〇〇円と認定したのであるが、右認定は、明らかな事実誤認であり、到底破棄を免れないものと思料する。

けだし、本件事業による所得は、すべて寛二に帰属するものであり、そうでないとしても、被告人に帰属する所得は二分の一にすぎないものと考えるからである。前記第一で主張したように、そもそも被告人は、本件脱税の実行行為に全く関与していないことが明らかであるから、その余の事実について判断するまでもなく、被告人は無罪と確信するものであるが、原判決には所得の帰属についても重大な事実誤認があり、この点についての事実誤認が、被告人が実行行為に関与したかどうかという争点についての前記事実誤認にも影響を及ぼしていると考えられるので、所得の帰属についてもなお検討する必要があるのである。

原判決が前記のように認定した根拠は、本件事業の経営者は被告人であると認めたことにあるが、そもそも、右判断が誤つていることは、以下に述べるとおりである。

(そして、被告人が経営者でないことが明らかになれば、同人が実行行為に関与していなかつたことも極めて自然のこととなろう。)

確かに、事業所得の帰属者は、「その事業を経営していると認められる者がだれであるかにより判定する」(所得税基本通達一二-二)とされるのであつて、本件事業の経営者が被告人であれば、原判決の認定は正しいといえよう。しかしながら、本件事業は、寛二の単独経営にかかるものか、少なくとも寛二と被告人の共同経営にかかるものと見るべきものであつて、到底被告人の単独経営にかかるものとは認められないのである。

この経営主体の判断は、証拠に基づく事実認定の問題であるとともに、法的評価の側面も有していると考えられるが、原判決は、そのいずれの面においても明白な誤りを犯していると言わざるを得ない。

以下、まず弁護人の基本的見解を述べ、次いで原判決の是非を検討することとする。

二 事業の経営者の意義について

一般に「経営者」とは何を指すか。その意義について、法律上の定義あるいは解釈規定は見当たらず、必ずしも明確ではないが、日常用語として説かれているところを参考にして考えてみると、一応事業遂行上の重要事項について最終決定権限を有している者を意味するといつて間違いとはいえないであろう。

この場合、「事業遂行上の重要事項」は、何も一つの事項には限らず、また、事業の種類、規模等によつて異なり得るが、どの事業についても共通に認められるのは、利益の処分、組織形態の選択(会社の設立、解散等)、最高人事等であろう。本件事業の場合には、右に加えて、店舗の新規出店、閉鎖も含めるべきであろう。

また、「最終決定権限」を有する者については必ずしも一人とは限らず、複数存在する場合もあり、その場合、いわゆる共同経営ということになる。この点に関し、生計を一にしている親族間における事業(農業を除く)の事業主がだれであるかを判定する場合には「その事業の経営方針の決定につき支配的影響力を有すると認められる者が当該事業の事業主に該当するものと推定する」とするのが税務当局の取扱であり(所得税基本通達一二-五)、所得税法第一二条の解釈運用として特に異論はないが、右取扱は、生計を一にしていない親族間における事業の場合には、複数の経営者即ち事業主が存在することを認めるものと解される。

本件事業の場合、被告人と寛二は親子であるが、「生計を一にしている」とは認め難く、両者をともに事業主と認めることは可能である。この問題については、後に検討したいが、仮に「生計を一にしている」と認められるとすれば、本件事業の経営方針の決定につき「支配的影響力」を有すると認められる者は、被告人ではなくて寛二というべきである。

原判決は、被告人と寛二が「生計を一にしている」かどうかに言及しておらず、前記通達の取扱を直接適用したものではないようであるが、事業主の認定にあたり、「支配的影響力」を有する者は被告人である旨判示している。しかしながら、これは明らかに事実誤認を犯したものと言わざるを得ない。

ところで、「最終決定権限」を有する者がだれであるかを判断するについて、前述のような重要事項についての実際の決定過程をみることが重要であることは当然であるが、具体的事案において、右のような決定過程が対外的に明らかになるとは限らないであろう。

したがつて、最終決定権限の有無は種々の要素から客観的に判断するほかないのであるが、その判断にあたつて考慮されるべき要素としては、出資及び事業資金の調達関係を無視することはできないと考える。「所有」と「経営」とが分離している大企業、特に株式会社形態をとる企業においては、出資者即ち株主が経営者とならない場合が少なくないが、本件事業のような零細同族企業においては、出資者が金主(スポンサー)にとどまり、事業に全く関与していないという場合を除いては、出資者が経営者である場合が一般的であろう。換言すれば、出資してはいないのに、事業の経営に関与する者は、所詮従業員にすぎないのであつて、関与の程度が強くとも、経営者とは認められないのが通常であろう。そして、出資者が複数の場合は、事業経営に関与している者の共同経営とみるべきであろう。

次に、考慮されるべき要素は、事業経営に関与している者同士の関係である。即ち、その者達の間柄、年令、経験等により、いずれが最終決定権限を有しているかを判断できる場合が少なくないと考えられる。特に、親族同士による企業の場合、その者達の関係を明らかにすることが必要であろう。

他方、代表者名義、営業許可名義あるいは取引名義等対外的行為主体の名義が誰かという点は、さほど重視されるべき要素ではない。これらの名義は、最終決定権限の有無を実質的に規制するものとはいえないからである。即ち、最終決定権限の有無は、企業の内部的問題であつて、対外的にどのような名義で行動するかとは直接に関係しないからである。例えば、風俗営業においては、営業名義人が経営者であることは少ない。原判決が「そもそもバー、キャバレーの営業においては、真の経営者を営業名義人とすることは少なく、従業員等を営業名義人とすることも世上一般に行われていることであつて、営業名義は、それが真の経営者を表すというような種類の重要な事項ではない」と判示しているとおりである。

また、「経営」と「営業」及び「経理」との関係をどうみるべきものであろうか。

風俗営業等のサービス業においては、日常業務は「営業」と「経理」の二大分野で遂行されている。どんな零細企業でも、ほとんどの場合、この両業務は一人ではなく分担して行われているが、いずれも「経営」自体とは直接の関係を有しない。「経営」は前述したように、事業遂行上の重要事項についての最終意思決定という問題であり、「営業」と「経理」は業務の領域であつて、レベルを異にする事柄だからである。もつとも、「営業」と「経理」の具体的事項が「事業遂行上の重要事項」に含まれ得るから、「経営」と無関係ではなく、事業の種類によつて、いずれが「経営」に密接な関連を有するのかが異なつてこよう。

以上をまとめると、本件事業の経営者がだれであるかを判断するにあたつて考慮されるべき事項としては

〈1〉 利益の処分方法

〈2〉 事業組織形態の決定過程

〈3〉 最高人事の決定過程

〈4〉 新規出店等事業計画の決定過程

〈5〉 出資及び資金調達関係

〈6〉 被告人と寛二の関係

が考えられるところであり、これらの諸要素を総合して判定すべきものと思料する。

因に、福岡地判昭四九・八・二七は「実質的な事業所得の帰属は、事業の許可名義、事業に従事する形式のみならず、事業資金の調達、営業方針の決定がどのようになされているかなどの諸事情から総合的に判定すべきである」旨判示しているが、参考にはなるものの、判断指針として必ずしも十分ではないし、また、事業の許可名義といつた(形式的表面的な)事柄を、事業資金の調達などという実質的な事柄と同列に扱うことが妥当でないことは、前述したとおりである。

三 そこで、右に列挙した諸要素について、本件事業ではいかなる実態であつたか証拠に基づいて検討することにしよう。

1 利益の処分方法

本件事業の経理のやり方については、被告人や寛二が捜査段階でその概要を供述しているところであるが、これを要約すると、株式会社加藤に組み入れた三店舗を含めてすべての店舗の売上金等一切の収入は、寛二が一本の金銭出納簿に正確に記帳し、管理していたものであり、その支出についても同様で、その経理処理のみならず、支出の要否の判断も寛二が行つていたのである。

その支出の内容は、弁護人から原審において提出された前記金銭出納簿(弁第一ないし一二号証)に正確に記帳されているが、各店舗の従業員の給料、酒、つまみの支払い、光熱水道費など通常経費のほか、被告人や寛二個人の支出も含まれている。両名の生活費等一切の支出は、本件事業の収入で賄われていたのであるが、その明細は、右金銭出納簿に記帳されているとおりである。

これらの支出の要否についてどのように決定されていたかは、原審における証拠上は必ずしも明確ではないが、例えば、両名の生活費や小遣いを寛二が決定して、寛二から被告人や家族に渡していたこと(寛二の昭和五四年一一月一五日付GS)などの事実からも、すべて寛二が決定していたことが認められる。

支出といつても、経常的な経費については、判断の余地が少なく、経理事務的な要素が大きいのであるが、臨時的な経費や利益の処分にあたる支出については経営者の判断に左右されるわけで、これらの支出についての決定過程がどのようであつたかを明らかにする必要があろう。しかし、この点についても、本件事業の申告額の決定を寛二が行つていたという事実から明らかなところである。このような支出は、事業遂行上の重要事項の一つにあたると考えられ、この点からしても寛二が本件事業の経営者であると認められるべきなのであるが、決定過程だけでなく、実際の支出、特に利益の処分の内容も重要である。

まず、前述した生活費についてみると、たとえば、昭和五一年一月分では、被告人(妻及び子二名を含む)の生活費として合計金三〇万円、寛二(妻咲子を含む)の生活費として合計金二四万円がそれぞれ支出されている(昭和五四年横地領第四〇六三号符第四-一号現金出納簿)。他の月もほぼ同様の状況であり、被告人と寛二の生活費として支出された金額は、さほど違わない。

次に、被告人と寛二の自宅購入費、建築費の支出をみると、被告人については、昭和五二年七月に一億五〇〇万円を銀行から借り入れて購入し、その借入金を本件事業による収入から毎月返済しており、寛二についても、昭和五三年八月ころ(登記簿上は昭和五三年一〇月新築となつている)、咲子名義で二三〇〇万円の費用をかけて自宅を新築し全額本件事業による収入で賄つていて(寛二の昭和五五年三月三日付PS参照、なお、昭和五四年横地領第四〇六三号符第五号中の昭和五三年九月七日太陽神戸銀行への支払二五万円はこの毎月の返済分である)、金額的には大きな違いがあるものの、寛二の自宅建築費まで支出していることは、寛二が単なる従業員ではなく経営者であることを意味すると解するのが合理的であろう。

また寛二については、函館の自宅及び別荘地購入資金合計約一三〇〇万円についても、本件事業による収入から支出されているのである(例えば、昭和五四年横地領第四〇六三号符第四-三号中の昭和五二年六月三〇日安田信託銀行への支払二五万円は函館の別荘地購入費返済であることにつき、寛二の昭和五四年一一月一五日付GS参照)。

なお、利益処分ではなく、事業経費ではあるが、個人的支出の色彩の強いものとして、被告人と寛二の乗用車の購入がある。被告人は、昭和五三年五月に八五〇万円で購入したリンカーンを、寛二は、同年九〇〇万円で購入したベンツを私的用途も含めて専用している(右寛二GS参照)のであつて、このことからも本件事業における寛二の地位の高さが窺えるであろう。

2 事業組織形態の決定過程

本件事業は昭和四九年一〇月ころ、三の輪のキャバレー「グランドタイガー」を開始して以来(もつとも同店は寛二と黒柳の共同経営にかかるもので、被告人は関与していない)、次々と店舗を拡大していつたのであるが、その形態は個人事業であつた。

ところが、寛二は、事業を拡大するためには、いつまでも個人事業では限界があり、法人組織にする必要を感じ、昭和五〇年一月、有限会社「藤」を設立した。その経緯は、寛二が清水政信と相談し、全額出資し、代表取締役を寛二と被告人としたというものであるが、被告人はこれについて何の相談も受けていなかつたというのが実情である(寛二の第三四回公判における供述調書一九丁裏ないし二一丁裏、被告人の第三七回公判における供述調書二丁裏ないし四丁裏)。

そしてこの会社は昭和五二年六月解散したのであるが、その解散の決定、手続は一切寛二が行つており、被告人は全く関与していないのである。もつとも、同会社は結局単なる登記簿上の存在で終わり、何ら動かなかつたのであるが、それも寛二が有限会社という形態を好まず、株式会社にすることを望んでいたからである(寛二の昭和五五年三月二日付PS参照)。

そこで寛二は、昭和五二年七月株式会社「加藤」を設立し、代表取締役を被告人としたのであるが、その決定及び手続もまた専ら寛二が行つたものであり、被告人は全く関与していない(寛二の昭和五四年六月六日付GSでは、被告人と相談のうえ設立したとなつているが、これが事実に反することについて同人の第三三回公判における供述調書一九丁表ないし二〇丁表)。その資本金八〇〇万円は、本件事業資金から支出されている(寛二の昭和五四年三月二日付PS中の被告人が出した旨の供述は、本件事業が被告人の経営にかかるという前提に立つた表現にすぎない)。

被告人を代表者にしたのは、寛二が被告人の対外的立場を考えて名目的に肩書きを与えたにすぎない。そのことは、単なる従業員にすぎず、何ら取締役としての権限を持ち得ない青山昭男、菅原清寿を取締役に据えたことからも窺えるであろう。

そして、同社は昭和五二年一一月、株式会社「加藤」と商号を変更し、これが現在の被告会社であるが、本店を鎌倉に移し、商号を変更する決定とその手続はすべて寛二が行つたものであつて、被告人は全く関与しておらず、事後、寛二から話を聞いたにすぎない。取締役を右青山、菅原から寛二と被告人の妻に代えたのも寛二の判断である。

株式会社「加藤」に商号変更してから、三店舗を同会社に組み入れたのであるが、その決定も専ら寛二が行つている(そのことは寛二の昭和五五年三月二日PSにおいても認められる)。その後の昭和五三年三月、同会社の取締役会(もつとも現実にこれを開催したものではないが)で全店舗を会社に組み入れることに決定した経過については、前述したとおりであるが、その判断、手続も寛二が行つたことであり、さらに、本件脱税の摘発後、右取締役会の決定を理由に昭和五四年五月、全店舗の所得を被告会社の所得として申告しようと国税局に交渉したのも寛二である。

以上で明らかなように、本件事業の組織形態の最終決定権限は専ら寛二に属していたのであつて被告人自身は全く関与していなかつたのである。

3 最高人事の決定過程

本件事業における人事としては、被告人及び寛二以外の者、すなわち従業員の採用、配置といつた程度であるが、各店舗のボーイやホステスの採用は、個々の店長に委ねられてあり、被告人らは関与していなかつたのが実情である(例えば証人吉田善次郎の第一八回公判における供述調書二丁表)。

店長クラスの採用は、被告人が現場の営業に精通していたため、一応被告人が決定していたが、寛二も無関係ではなく、被告人から事前ないし事後に報告を受け、寛二の意見により退職させたこともあつた(この点は控訴審において立証予定)。

また、店舗ではなく事務所の事務員は、被告人ではなく寛二自身で決定採用しており(福士幸男の昭和五四年四月一七日付GS)、従業員ではないが、小西税理士や大沢税理士に依頼したのも寛二なのである。

したがつて、人事面については、被告人と寛二が共同し、あるいは分担して決定してしていたというのが実情であり、この点では、本件事業は両名の共同経営という色彩が強いといえよう。

4 新規出店等事業計画の決定過程

本件事業開始以来、店舗数は次第に拡大し、一三店舗を有するまでに発展したのであるが、これは被告人と寛二の両名が一致して考え、銀行等から資金を調達したことによるものである。

このような店舗の新設については、予め寛二が計画を作成したうえで、被告人と各店長がチームを作つて候補地を探し、その中から決定する方法をとつてきたのであるが、その決定にあたつては、営業利益の観点と資金面のいずれをも無視できないことは当然であり、前者は被告人が主として判断する事柄であつたが、後者は専ら寛二が判断したのである。新規出店にあたつて、いくら場所的に適当な物件があつても、資金面の都合がつかなければ実行できないことはいうまでもない。右のような実情であつたことは、寛二や被告人が供述している(寛二の第一四回公判における供述調書九丁裏、第三二回公判における供述調書一〇丁表、一一丁表、被告人の第三七回公判における供述調書二八丁表、第三八回公判における供述調書二丁裏、三丁表)のみならず、従業員である菅原清寿も証言しているところである(同人の第一七回公判におおける供述調書三〇丁表、裏)。

具体例をあげると、大宮市仲町の店舗は昭和五一年一〇月、土地付建物として購入したのであるが、その経過としては、当初、寛二が借店舗を予定して一〇〇〇万円の予算で物件を見つけるよう指示し、被告人や店長達が物色し、結局、前記菅原らが見つけてきたものの、土地付建物で六〇〇〇万円もするものであつたが、寛二が資金調達可能と判断し、同人の決断で購入したのである。この資金は銀行借入と寛二の手持ち資金で賄い、その手続一切も寛二が行つた(被告人の第三七回公判における供述調書一一丁表乃至一六丁表)。

本件事業における計画としては、事業の性質上店舗の新設、廃止が大きな比重を占めるといえるが、それと密接に関連する資金調達、返済計画は専ら寛二が行つていたのであつて、全体としてみると、事業計画の決定は寛二が行つていたと認められるのである。

5 出資及び資金調達関係

昭和四九年一一月ころから本件事業が開始され、次々と店舗を新設して事業が拡大していつたことは前述したところであるが、その開業資金は専ら寛二の手持ちで賄われた。

即ち、同人は、本件事業を開始するため、昭和四九年四月北斗興業株式会社を退社し上京したのであるが、その退職金等すべてを処分し、約四〇〇〇万円を本件事業に注ぎ込んだのである(同人の昭和五五年二月二七日付PS参照)。このことは、昭和五〇年三月開店した柏のキャバレー「ニュークインビー」の開店資金のうち七〇〇万円を寛二が出した旨の被告人の供述(昭和五四年五月一日付GS)からも裏付けられるところである。

その後事業が発展するにつれ、必要な資金は銀行からの借入や事業利益で賄えるようになつたのであるが、その基盤は何といつても寛二の出資金にあると言わなければならない。被告人自身の出資額がとの位であつたか、原審の証拠関係からは必ずしも明らかではないが、開業前、被告人が大沢兄弟の手伝いをしていて、いつまでも独立できないため寛二が上京して出資した経緯に鑑みれば、出資したとしても僅かであつたことは容易に推測できよう。

このように全財産をはたいて多額の出資をした寛二が経営者でないとどうして言えようか。寛二が事業に関与していない単なるスポンサーであれば別であるが、資金関係の業務一切を担当しているのであつて、それを被告人の従業員であると見ることは不可能と言わなければならない。証人菅原が、寛二を経営者と考える根拠として「自分でお金を出して儲ける人が経営者じゃないですか」と述べているが(同人の第一七回公判における供述調書三四丁裏)、一般人の考え方として極自然であろう。

また、有限会社「藤」の出資関係は前述したところであるが、株式会社「藤」についても、その資本金八〇〇万円は、全額寛二が支出しているのである(被告人の第三八回公判における供述調書三〇丁裏ないし三一丁裏)。

次に、資金調達関係であるが、銀行借入、その返済等資金繰り一切は寛二が行つていたことに争いはない。単なる手続や経理処理にとどまらず、資金調達方法、金額等の決定はすべて寛二が一人で行つていたものであり、被告人は何らこれに関与していないのである(銀行員熊谷家則の第三一回公判における証言など参照)。

もつとも銀行取引等、対外的取引は被告人名義であつたが、これは被告人を名目上代表者としていた関係で形式的にそのようにしていたものにすぎず、実質的な取引主体は寛二なのである。それ故、寛二が被告人の銀行印のみならず実印等まで所持し、被告人の了解なく(了解を得る必要がないため)自由に使用していたのであり、却つて被告人がこれらを使用するときは寛二の承諾を得て借りていたというのが実情である(被告人の第三八回公判における供述調書三丁裏乃至五丁表等)。

しかも寛二は銀行借入にあたつて、自己の軍人恩給や厚生年金を担保にしてまて事業の発展に全力を注いだのである(寛二の昭和五四年三月三日付PS)。

以上のような事実をみても、寛二が経営者であつたことは否定し難いところであろう。

6 被告人と寛二の関係

被告人は寛二の一人息子として生まれ、高校卒業まで同人に育てられ、大学入学後も寛二から金銭的援助を受けながら大沢兄弟の営むバーやキャバレーの営業の経験を積んだのであるが、大沢兄弟から独立できないでいた。これを見かねた寛二は、被告人を独立させるべく、昭和四九年四月、それまで取締役として勤務していた北斗興業株式会社を退社し、妻とともに上京し、東京都江東区内のマンションに居を構え、退職金等持てる財産全部を本件事業に投げうち、バーやキャバレーの店舗を次々と開店したのである。

このような経過だけをとらえれば、寛二が被告人の事業に対して金銭的な援助をしたにすぎないと評価すべきなのか、寛二自身が事業を行つたのかのか、あるいか被告人と共同して事業を行つたものと評価すべきなのか、必ずしも明らかでないかもしれない。しかしながら、被告人と寛二のいわば力関係をさらに突つ込んでみてみるならば、そのいずれであるかは明白である。

確かに、単に親子といつても、そのいずれが実権を掌握しているか様々であろうが、被告人の場合、永年寛二に育てられ、本件事業開始前まで継続的に金銭的援助を受けていたのであり、右事業開始後は、三〇歳そこそこの年令であつたうえ、いわゆる現場の営業面の経験こそ豊富であつたが、肝心の資金関係などには全く無知であつて、事業家としては未熟であつたのに対し、寛二は、永年会社役員として会社経営に豊富な経験を有し、本件事業開始前も現役の役員として活躍し、定年まで相当年数があるにも拘らず、本件事業に加わつたものであり、しかも、被告人とは違い、多額の資金を有し、これを右事業に注ぎ込んだのであつて、このような事情の下では、いずれが主導権を持つていたかは常識で判断できよう。

要するに、被告人は寛二の子供というだけではなく、年令、地位、経験、資金力等ほとんどの面で寛二とは比較にならず、ただ現場の営業面の経験のみ豊富というにすぎないのであつて、そのような親子が事業に関与している場合、親が経営者であるとみるべきは当然である。ただ、本件事業の経営においては、現場の営業経験が不可欠であることは否めず、その点を重視するならば、両者の共同経営とみるのも可能であろう。いずれにしても、親が出資し、しかも直接事業経営の重要部分に関与している場合に、親が経営者でない、即ち子の従業員であるとみることは、非常識そのものと言わなければならない。

四 原判決の検討

以上により、寛二が本件事業の経営者であることは原判決に反論するまでもなく明らかであると思料するが、念のため、原判決の判示するところを検討することとしよう。

1 まず、原判決は、証拠により認定した事実として一〇点指摘するので、以下逐一検討する。

(一) 原判決は、被告人が昭和四四年ころ以降、叔父である大沢兄弟と共にバー、キャバレーを共同して経営するようになつていつたもので、昭和四九年当時には、バー、キャバレーの経営について相当の経験を有するにいたつていた旨認定しているが、まず、大沢兄弟との共同経営とするのは誤りであつて、被告人は単なる使用人として大沢昱から一定額の給料をもらい(原判決も認めているところである。後記(二))、大沢進からは無給で営業関係の仕事をしていたにすぎず、利益の分配、処分といつた経営面には何ら関与していなかつたものである(この点は控訴審において立証する)。

原判決が右のように認定した根拠は、ただ被告人が捜査段階でそのように供述している(同人の昭和五四年三月三日付PS)ことにあるが、被告人のみが本件事業の経営者とする捜査官の誘導に基づくものであつて、しかもその供述は単に共同経営というのみで、その内容は全く示されていない。したがつて、被告人は、原判決が認定するようなバー、キャバレーの「経営」についての知識経験を有していたわけではないのであり、単なる現場の「営業」についての知識経験を有していたにすぎないのである。

(二) 原判決は、大沢昱らが収益を勝手に処分し、被告人は一定の給料をもらうのみであつたことからこれを不満とし、昭和四九年一一月ころ、同人から独立することになつた旨判示するが、(この点は、被告人が大沢兄弟と共同経営をしていた旨の前記判事と齟齬している)、右独立云々の点は不正確である。

実際には、前述したとおり、昭和四九年一一月ころ、まず寛二がキャバレー「グランドタイガー」を黒柳壬子夫と共に開業し、次いで、寛二が経理をみていた大沢進経営の「ニュークインビー」と大沢昱経営の「ニュー浦島」について、被告人も営業に加わるようになつたのである(被告人の第三七回公判における供述調書三〇丁表、裏参照)

(三) 次に、原判決は、寛二が被告人を援助し、独立させようとの意図で昭和四九年四月ころ上京したが、バー、キャバレー等の水商売の経験を全く有していなかつた旨判示しているが、この認定も不正確と言わざるを得ない。

前述したように、寛二は被告人を大沢兄弟から独立させ、その営業手腕を利用し、自ら経営する意図で、全財産を処分して上京したのが実情である。また、寛二が水商売の経験を有していなかつたことはそのとおりであるが、会社経営に対する知識、経験は豊富であり、それは水商売でも十分活かせるものであつた。

(四) 原判決は、被告人が前記「グランドタイガー」を開店して経営を始めたこと、大沢らの妨害を恐れて黒柳に経営を任せた形をとつたこと、「ニュークインビー」「ニュー浦島」を経営するに至つたことを認定しているが、いずれも誤つた認定である。

「グランドタイガー」は寛二が開店したものであり、また、黒柳にも実際に経営にあたつてもらつていたのである。「ニュークインビー」と「ニュー浦島」は、被告人のみでなく、寛二も経営に加わつていたこと前述したとおりで、原判決は、本件事業の経営者が被告人であることを認定する根拠として、右両店を被告人が「経営」したと判示しているが、その「経営」の根拠を全く示しておらず、まさに循環論法と言わざるを得ない。

(五) さらに原判決は、

〈1〉 被告人が営業全般を統括し、幹部職員の採用や各店のホステス、店員採用等に関する決定権を有し、各店の営業名義人の名義使用についても自ら依頼してその承諾を得ていること

〈2〉 昭和五二年八月までは各店の営業終了後、寛二と共に、その後は被告人が事務所で各店責任者から売上金を受取り、現金出納簿に記帳していたこと

〈3〉 寛二は、経理関係全般を処理し、被告人の実印などを保管し、必要に応じてこれを使用していたほか、銀行との融資交渉を担当していたこと

〈4〉 寛二は各店の経費支払等の事務を一括して行つていたこと

を認定している。

しかしながら、いずれの点も不正確ないし明白な誤りがある。

即ち、〈1〉については、前述したとおりで、幹部職員の採用については寛二も関与しており、他方、各店のホステス、店員の採用は店長の権限で被告人は関与していなかつたのである。

〈2〉については、(外形的事実は)そのとおりであるが、ただ被告人が関与していたのは、全く事務的作業であつて、判断を要するものではなく、経営とは無関係である。

〈3〉についても前述したとおりで、寛二は被告人の実印を保管していただけでなく、その一存で自由にこれを使用していたものであり、財務関係の実権は寛二のみが掌握していたのである。

〈4〉についても、寛二は経費支払に関して単にその事務を行つていただけでなく、支払の要否の決定権限を有していたこと前述したところである。

(六) 原判決は、被告人及び寛二は定まつた報酬を取ることなく、必要に応じ随時最小限の生活費を取り、利益の残余は主として新規出店、改装等の費用に当てていた旨判示している。

確かに売上金の使途は右に指摘するとおりであるが、その決定はすべて寛二のみが行い、被告人は関与していないのである。生活費の金額、支払期はすべて寛二が決定していたもので、被告人が自分で引き出すことはなかつた。

(七) 原判決は、店舗用の物件の選択、店内の造作、人員の確保及び営業形態など、資金関係以外はすべて被告人が決定していたもので、新規出店に関する最終決定は被告人が行つていた旨判示する。

しかしながら、これまた明白な事実誤認を犯していると言わざるを得ない。

まず、店舗用物件については、寛二の指示の下に被告人を含めた従業員のチームを作つて候補物件を捜し、その中から寛二が最終的に決定したこと前述したとおりである。これについては、資金関係の判断なくして新規出店の決定などできないこと当然であり、原判決の認定は不当である。

また店舗の改装についても、寛二が元の勤務先のアジア石油と連絡し、同社が入居していたビルの修理を担当していた業者に依頼したもので、もちろん、費用の支払いも寛二が行つていた(寛二の第三二回公判における供述調書九丁表、裏)。

(八) 被告人は、自己名義でモーターボートを三五九六万円で、店舗用土地を六〇〇〇万円で、自宅土地建物を一億五〇〇万円でそれぞれ購入したが、そのための銀行借入や支払はすべて被告人名義で行われている旨判示している。

確かに、外形的・表面的事実はそのとおりであるが、この購入はすべて寛二が決定し、寛二が銀行借入、支払も実行したものであつて、原判決の判示は、事柄の本質を見落とし、その一面のみをとらえたすぎない。また、銀行借入等の名義が被告人となつているのは、被告人を名目上代表者としたことによるものにすぎないのであつて、名義という形式と実態とが一致しない点に本件事業の特徴があるのである。

(九) 原判決は、昭和五二年七月五日から個人経営店舗のうち三店は被告会社の経営に組み入れられているが、被告会社の代表者は設立当時から被告人であり、被告人は各店の従業員から社長と呼ばれていた旨指摘する。しかしながら、これまた一面的な見方である。

被告会社を設立したのは、寛二であつて、被告人は全く関与しておらず、被告人を代表者にしたのは寛二の意思によること前述したとおりである。また、被告人の名称(肩書)については、昭和五二年七月に株式会社「藤」が設立されて以降、従業員から「社長」と呼ばれるようになつたが、それ以前は「専務」と呼ばれていたものであり、一方、寛二は一貫して「会長」と呼ばれていて(証人青山昭男の第一五回公判における供述調書一二丁表、一三丁裏、証人菅原清寿の第一七回公判における供述調書三丁裏ないし四丁裏等。なお、控訴審で提出予定の昭和五四年横地領第四〇六三号符第一三一号スケジュールリストには、「会長」「社長」の記載がある)、従業員らは、寛二の地位が上であると認識していたのである。

(一〇) 最後に原判決は、店長級以上の幹部従業員や清水政信が本件事業の経営者について被告人単独あるいは被告人と寛二の共同経営と認識しており、寛二の単独経営と認識している者はいなかつた旨指摘するが、このうち、被告人の単独経営と思う旨捜査、公判を通じて一貫して供述している者はなく、逆に、従業員の菅原清寿は公判で明確に寛二の単独経営である旨証言している(同人の第一七回公判における供述調書五丁表ないし九丁裏)のであつて、原判決の指摘は正確ではない。

なお、原判決は、菅原の右証言は大蔵事務官に対する質問てん末書における供述に照らすと措信できない旨判示しているが、右質問てん末書においては、寛二のことが一言も触れられておらず、極めて不自然であり、公判廷における供述こそ信用できるものと考える。

2 続いて原判決は、被告人及び寛二の公判廷における各供述について言及し、それが措信できない理由を判示しているので、この点について検討することとする。

(一) まず原判決は、両名が前述の「グランドタイガー」は寛二が経営したもので被告人は全く関与しておらず、新規出店等の最終決定は寛二がしていたものである旨供述していることに対して、

〈1〉 グランドタイガーにつき、この種店舗の経営経験のない寛二が突然単独経営を行つたというのは不自然であること

〈2〉 黒柳に表面上営業を任せた形にしたとする理由について捜査官に対して供述する部分は、それなりに合理的であつて不自然なところもなく、十分信用できること

〈3〉 同店の経理が他の二店と一括して行われていたことからすると、グランドタイガーも他二店と同様被告人の統括下に置かれ、経営されていたものと認めざるをえないこと

〈4〉 寛二は営業経験が全くないのであるから、新規出店の費用、予想売上及び収益などについて的確に判断することは困難であつて、右諸条件を勘案して銀行借入の返済可能性などの重要な要素について判断しうるのは経営及び営業経験を有する被告人であると解するのが相当であること

に照らすと、公判廷での供述は措信できない旨判示している。

しかしながら、そのいずれの判示にも事実の誤認もしくは判断の誤りがあり、到底納得することができない。

まず、〈1〉については、たとえこの種店舗についての経営経験がなくとも、経営の基本は業種を問わず共通であつて、収益を上げるという経営の最大目標を実現できる能力を有していれば十分であり、業種に特有の営業面は他人を使用してもやれることなのである。この点原判決は、経営というものの実態に対する理解が不十分であると言わざるを得ない。

〈2〉については、被告人らの捜査段階での供述は捜査官に迎合したものであつて、事実に反するし、そもそも、被告人自身が経営しているなら、営業に明るいのであるから、黒柳に任せる必要は全くなく、不合理な供述であつて、信用性に乏しいものである。

〈3〉についてみると、他の二店も寛二の単独経営もしくは寛二と被告人の共同経営と考えるべきなのであつて、原判決の認定は、そもそも前提において誤つているのである。

〈4〉については、営業経験がなくとも、被告人からの情報をもとに判断することは容易であるし、逆に銀行借入の返済可能性の判断は、銀行取引の経験を有しない被告人には困難であつて、その経験豊富な寛二こそ的確になしうるものである。また、被告人が経営経験を有するとの判示は、誤りであり、被告人が単に「営業」経験を有するに過ぎないこと前述したとおりである。

3 最後に原判決は、前述した各事実のうち、次の五点を取り上げ、これらによつて、本件事業の経営者は被告人であり、したがつて、その事業所得も被告人に帰属すると結論づけているので、まず右五点について、改めて検討することとする。

(一) 被告人が全店舗の営業を統括し、その人事権を有し、新規出店についても最終決定権を有していること

店長クラスの幹部職員の人事は、寛二も関与しており、事務所職員の人事は、寛二が決定していたこと、新規出店についての最終決定権を有していたのは被告人ではなく、寛二であつたことについては、前述したとおりであり、原判決の右認定は、明白な事実誤認である。

(二) 銀行借入や不動産の取得等重要な対外的法律行為のほとんどすべてが被告人名義でなされていること

事実はそのとおりであるが、これは寛二が被告人の対外的地位を考え、名目的に代表者としたことから必然的に被告人名義となつたものにすぎないこと前述したとおりであり、このような形式的な面を事業の経営者はだれかという実質的な問題の判断にあたつて重視することは、全くの誤りである(対外的法律行為の名義が誰であるかということよりも、その名義を使用することを誰が決定したかということが、より重要な事柄である)。

(三) 本件事業は特殊なもので、その知識経験を有する被告人の存在なくして成立しないこと

一体どういう基準で「一般的な」事業と「特殊な」事業を区別するのであろうか。事業は千差万別であり、特殊といえば、ほとんどの事業が特殊と言わなければならない。しかし、前述したように、「経営」というものの基本は各事業に共通であり、本件事業においても、その知識経験を有する寛二の存在なくしては成り立たない。他方、被告人が有する知識経験は専ら事業の一領域である「営業」に関してのものであり、被告人の存在なくして本件事業における「営業」は成り立たないとはいえても、必ずしも「経営」が成り立たないわけではない。

原判決の右判示は、「経営」というものの本質について十分な理解を欠いていると言わざるを得ない。

(四) 寛二は被告人を援助し独立させるために上京してきたこと

この点についても、前述したとおり、寛二は被告人の営業手腕を利用し、自ら経営する意図で全財産を処分して上京したというのが実情であつて、単に被告人を援助するために上京したものではなく、原判決の右認定は不正確と言わなければならない。

(五) 被告人及び寛二は捜査段階で一貫して被告人が経営していたものであることを認める供述をしていること

この点については、そもそも単なる供述であつて、証拠に基づいて認定された「事実」ではなく、前記(一)ないし(四)とは全くレベルを異にするものであり、これをもつて、本件事業の経営者が誰であるかを判断することは適当ではないと思われる。それはさておいても、まず、被告人らは捜査段階において、寛二名義の二店が同人の経営にかかるものであることを主張したことがあるのであり(寛二の昭和五五年四月一二日付PS末尾添付の昭和五四年六月付上申書案参照)、必ずしも一貫して被告人が経営していたものと供述していたわけではないし、その旨供述している大蔵事務官及び検察官に対する供述調書は、全店舗が被告人の単独経営であるとの捜査官の既定方針に基づく誘導とこれに対する被告人らの迎合による産物であり、それ故、単に「寛の経営する店舗であることに間違いありませんでした」(寛二の昭和五五年三月二日付PS)という供述に代表されるように、全くその具体的根拠を欠く抽象的な表現にとどまらざるを得なかつたものであること前述したとおりである。

一方、両名は、公判廷においては、具体的根拠を詳述しながら、一貫して寛二の単独もしくは寛二と被告人の共同経営であることを供述しているのであつて、検察官はこれに対し何ら有効な反対尋問を行つておらず、これこそ十分に信用に値するものと言わなければならない。ところが、原判決は、公判廷の供述を無視し、捜査官に対する供述であるというだけで安易にこれを信用してしまつたものであり、真相を看破すべき裁判所として誠に遺憾な判断と言わざるを得ないのである。

以上、原判決は誤つた事実認定と価値判断によつて誤つた結論を引き出したものであつて、右結論には到底承服することができない。

原判決は、続いて、

〈1〉 寛二が当初の開業資金など多額の支出をしていること

〈2〉 寛二は被告人を補佐するようになつてから給料として確定金額を支払いを受けず、事業収入から家計費など最小限の金員を随時使用していたこと

〈3〉 寛二は被告人の実印などを保管し必要に応じて適宜使用するなど単なる経理事務担当者とはいえない面も有していること

の三点を挙げ、これらの点から被告人と寛二が親子の力を結集して一個の事業を行つていたという面もあることは否定できない旨述べながら(被告人が経営者であるという予断に囚われた原判決ですら、不十分とはいえ、かかる認識を抱かざるを得なかつたことは、原審での証拠関係からみて当然である)、「本件事業について支配的影響力を有していた者は被告人であり、被告人と寛二との間には利益配分の約束もその事実もなく、仮に寛二がその寄与分につき、被告人に分配要求の主張ができるとしても、それは一種の期待権にすぎず、被告人及び寛二がそれぞれ独立して税務上の実質所得者として利益を享受していた状態にあつたとはいえない」として、結局、本件事業の経営者は被告人であるとした。

そこで、まず前記〈1〉ないし〈3〉について検討すると、〈1〉は実にそのとおりであつて、前述したように経営者の認定にあたつては最も重要な要素であるのに、原判決は、前記結論に鑑みるとこれを不当に軽視していると言わざるを得ない。

〈2〉も事実として間違いはないが、それにとどまらず、本件事業による利益の処分は寛二において決定していたこと前述したとおりであり、この利益の処分の内容と決定方法が経営者の認定をするうえで重要な要素であるのに、原判決は、これまた不当に軽視している。

〈3〉についても前述したとおりであり、寛二が経営の実権を掌握していたことを示すものとして重要な事実と言わなければならない。

これらの諸事実は、その実質を右のように正しく理解するならば、前述したような事業組織形態の決定過程などの諸点を考慮せずとも、右事実だけで寛二が経営者であることを決定的に示すものであつて、原判決が被告人を経営者と認定する根拠として挙げた前記五点と比べ、はるかに重要な事実と言わなければならない。そうであるとすれば、結論は自明であつて、本件事業について「支配的影響力」を有していた者は、まさに寛二である。

ところが、原判決は、両方の事実を挙げながら、その比較衡量についての判断を示さないまま、いきなり、支配的影響力を有していた者は被告人である旨正反対の結論を出したのである。原判決は、右結論を導いた根拠を何ら示しておらず、理由不備の誹りを免れない。

また、原判決が、被告人と寛二との間には利益配分の約束もその事実もないことを理由に、被告人及び寛二が独立して税務上の実質所得者として利益を享受していた状態とはいえないとする点についても納得し難い。一般に、親子間でかかる約束が明示の形で存在することは稀であり、本件事業が共同経営と認められるとすれば、その場合に明示の約束がなく利益配分についての特段の基準が見出せなければ、それぞれの所得は二分の一とするのが合理的であると考える。

以上述べたとおり、そもそも被告人は本件脱税の実行行為に全く関与しておらず無罪であり、仮に関与していたとしても、本件事業所得が被告人単独に帰属するものでないことは明白である。しかるに、原判決は、被告人が実行行為を行つたものであり、本件事業所得が被告人単独に帰属するとして有罪の言渡しをしたもので、これは証拠の取捨選択及び証拠の評価、判断を誤つて事実を誤認したことによるものであり、その事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

よつて、原判決を破棄のうえ、さらに適正な裁判を求めるため本件控訴に及んだ次第である。

以上

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